ブレンパワードを見て

  「Vガンダム」以降、「ガンダム」の富野監督のアニメは随分と長いことなかったのだけど、WOWWOWで久方ぶりの富野監督作品「ブレンパワード」が放映された。キャラデザはいのまたむつみ、永野護とこれまた豪華なメンバーで、当然のことながら「WOWWOWと契約してて良かった!」と期待していた。とりあえず第一印象は「ちょっとダンバインっぽいかな」「主人公のユウは顔立ちはシーブック似だけど性格はカミーユ似かな〜」とか。

 しかし・・・なんかねぇ・・・これは「Vガンダム」でも思ったことだけど、無駄な登場人物が多い!。

 登場人物が多いこと自体は悪いことじゃないけど、一人一人にもう少し個性がないと・・・。

 世界観の理解も困難。これは何も「ブレンパワード」の世界観が特殊だからという理由もあるけど、オルファンやらリクレイマーやらグランチャーやらバイタルネットやらオーガニックエナジーやらのブレンパワード用語が次々に説明もろくにされずに登場するのはどうかと・・・。「エヴァ」じゃないんだからさぁ。「エヴァ」の方はまだネーミングセンスが良かったこともあって、プラスの効果もあったけどねぇ。

 戦闘シーンの迫力も全然ない。スピード感というものに欠けている。戦闘シーンの構成自体にしても、何か適当にやって適当にいつのまにか終わってしまうみたいなものもあった。中盤あたりでは話のテンポも少し悪く、見てて冗長に感じた。

 ・・・でも、結局は「ブレンパワード」僕的には良かったっです。「スーパーロボット大戦α外伝」に何故「ブレンパワード」は出んのじゃぁぁ。ヒゲガンダム出すくらいなら、「ブレパ」出せ〜って感じ。

 

好敵手ジョナサン

 敵キャラクターであるジョナサンが非常にいい。実際、僕の友人で「ブレンパワード」=ジョナサンと思っている人もいる。

 出始めははっきり言って情けないキャラクターだった。ギジェ、バーン、ジェリド、クロノクルみたいな富野作品に多い情けない敵キャラかと思った。しかしその印象は第9話「ジョナサンの刃」で変わる。この話でジョナサンと味方のアノーア艦長が子と母の間柄という関係であることが分かるのだけど、そしてこの親子関係が破綻した親子関係であることも判明する。ジョナサンがノヴィス・ノアに潜入し、そして逃走した時にアノーアに銃を向けられる。その時にジョナサンが放つセリフが非常にかっこ悪く、なおかつかっこいい。「8歳と9歳と10歳の時と、12歳と13歳の時も僕はずっっと待ってた。」、「クリスマスプレゼントだろう!。・・・カードもだ。ママンのクリスマス休暇だって待ってた。あんたはクリスマスプレゼントの代わりにそのピストルの弾を息子にくれるのか!」と叫び、呆然としたアノーアの下から逃走する。話のラストにおいてもノビス・ノアから落下しそうになった熊三を助けたりとおいしい所をさらっていった。その後の話でもキレた、あやうさと強さを兼ねた、そんなかっこよさを魅せてくれた。黒騎士、ジェリド、クロノコルなどはみんなショウ、カミーユ、ウッソなどへの対抗意識だけが強烈で、逆にそのことが彼らの器を小さくしてしまった感があるけど、ジョナサンはユウに対する対抗意識だけで生きているのではなく、むしろ野心を持つ人物として生きている。

 

理想的なハッピーエンディング

 富野監督作品では「ザンボット3」、「イデオン」、「ダンバイン」、「Zガンダム」、「Vガンダム」、など敵味方が盛大に殺し合って登場人物の大半が死んでしまうというラストが多い。しかし「ブレンパワード」はそのような富野作品において奇跡としか言いようがないことに、死人(犠牲者)がほとんどいない。名前のあるキャラクターで死んだ人がほとんどいない。味方はもちろんのこと敵キャラにおいても死人がいない。登場人物はおろか宇宙全体が消滅する「イデオン」など前述の作品は問題外として、例えば「明るいガンダム」を目指した「ZZ」においては、シャングリラからの仲間には犠牲はなかったとは言え、プル、プルツーは死んだし、まるで死ぬためだけに終盤に再登場したかのようなエマリー、サラサ、そして敵キャラもほとんど戦死した。それに比べて「ブレンパワード」は奇跡を通り越して異常とさえ言える。

 主人公のユウは親子関係が破綻しているという富野作品にありがちなパターンだけど、しかもユウの場合、破綻しているだけではなく、親子同士がお互い敵同士という衝撃的な関係。しかしこのことは話の展開としてはあまり重要なウェイトを占めていないようだった。何せユウは親と戦うことに関してそれほどのためらいを感じていない。父母よりも祖母に育てられたという感じが強いということもあるだろうけど(逆に一緒に過ごしてきた姉のクィンシーと戦う時は少しためらうこともあった)。それだけではなくヒロインのヒメの存在も大きい。ヒメはいろいろな親に育てられ、そのことをむしろ大切な事に思っている。つまり血縁にこだわらなくてもいい、親子関係が破綻しても別のところでそれを補えばいい、という救いを用意している。しかも最終話においてはジョナサンとバロンを通して、破綻した親子関係でも絆を直すことが可能であることを表現している。はっきり言って富野作品でこれほどまでに理想主義的な終わり方はかつてない。


管理者:中霧里五
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