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Episode8 「闘いの終わりは戦いの始まり

 ミミーは釈然としなかった。自室で机に肘をたてて窓の外を眺めながら、モーリスの言葉を思い出していた。そしてやはり、言い様のない怒りと屈辱に先ほどと同じようにその端正な顔に深い眉間のしわを作った。今から一時間前のことだった。


「今、何とおっしゃいました?」

ミミーは余りの予想外の言葉に思わず相手を考えずに聞き返してしまった。
「聞こえなかったかね。君には月にいってもらう。」
 そこはフロントベイ基地のブリーフィングルーム。部屋は通常、人が三十名ほど入ることのできる程度の広さであるが、椅子や机というものが一切存在しないため、とても広く感じられる。その部屋に戦闘区域から間一髪味方の支援により脱出してきたばかりのミミーと監査員のモーリスだけが立っていた。二人の向いている方の壁に映像が映し出されている。映っているのは初老の品のいい紳士だ。白髪交じりの髪を丁寧に揃え、同じく白いものの混じった髭が上品さを引き立てる。だがやや丸みを帯びたふっくらとした輪郭の中で瞳だけが全体のバランスから外れて鋭い。先ほどの声の主は彼のもののようだ。
「月にいけとおっしゃるということは、私を解雇しないということですか?あれだけの失態をまねいておいて。」
ミミーはここに来る時、解雇を覚悟していた。VRを十機以上失い、かつ戦死者を七名も出したのだ。しかも相手はただの三機のみである。当然、隊長である彼女は責任をとり、少なくとも隊長解任となるのが一般的だ。それが別の任務を与えられようとは、彼女の誇りに傷がつく。
「なぜなのですか!?」
その声にミミーの気持ちを察した男はうなずきながら静かに答える。
「君の気持ちは良くわかるつもりだ。君のような現場の人間は下手な同情こそ一番嫌うものだろう。まして部下の仇も討てずにその場を離れるなど、身を焼かれる想いだろう。だがこれは決定事項なのだ。そして君への同情から出たものでもない。」
「くっ・・・!」
下を向き、唇を噛みしめるミミーに男は淡々とした口調で言葉を続けた。
「それにあのような状況下では数の多さはかえって不利だった。加えて相手はトップ・オブ・アファームドであったとか。君には客観的にみて責任はない。専門家もそう分析している。失った分のVRと補充の兵士はこちらで手配した。補給が済み次第、月にむかいたまえ。詳しいことはそちらにいるモーリス君から確認をしてくれ。では、失礼する。」
男はミミーの表情を見て長話は無用と判断したようだ。用件だけを簡潔にいって通信を切った。
「ばかにしているわ!!」
ミミーは吐き捨てた。耐えがたい屈辱だった。いっそのこと退職願を叩きつけてやろうかとさえ思う。その様子をモーリスはひややかな表情で見ていた。このまましばらく眺めているのも悪くない。だが仕事を優先させなくてはならない。
「仕方ないわね。悔しかったら結果を出してみせるしかないんじゃない?そのための今度に仕事を利用することね。」
「敗戦の将を部隊の隊長にしておくほどDNAは人手不足ではないでしょうに!」
プライドを傷つけられたエリートへの同情はかえって逆効果だとわかっているモーリスは上層部の思惑を隠さずに話すことにした。
「同情で人を雇えるほどうちの会社は余裕ないわよ。ただでさえも人は余っている時代なのだから。いい、あなたがDNAを辞めたらRNAは必ずスカウトにやってくるわ。もしミミー・サルペンが敵になったらそれだけで最低五十のVRとパイロットを失うことを覚悟しなくてはならなくなる。そうなったらどちらが得か考えなくてもわかることよ。」
「私が自分から辞めるといったら?」
「ミミー・サルペンもVRに乗っていなければただの女に過ぎない。どうにでもなるわ。」
ふうっと大きくため息をついてミミーは諦めた。モーリスの言う通り、自分には選択の自由はないということを悟った。腰に両手を置いて、小首を傾げてみせる。
「わかったわ。今回の仕事は?」
「今、ウォレン中将からお話があった通り、RKGは月に行くことになったわ」
「月で何をしようというの?」
手にしたノートサイズの電子ボードに目をやり、モーリスは内容を確認するためボードの上を上から下へ流れる文字に眼球を小刻みに動かしつつ話す。
「第五プラント、『デッドリー・ダッドリー』に行ってもらうわ。あなたは割と個人的思い入れがあるのではなくて?」
「デッドリー・ダッドリー?あんな月の裏側で何をするのよ?」
モーリスに少しつっかかるような言い方でミミーは片方の眉をつりあげた。そのミミーの顔を見ようともせず彼女は言葉を続けた。
「第五プラントがTAIの限定戦争の時、RNAと秘かに連絡をとっていたことは知っているわよね?」
「ええ、そのおかげで信頼していた部下に裏切られたから忘れるはずもない。」
「その件から派生して、今度デッドリー・ダッドリーが量産型のライデンを大量にRNAに横流しするという情報が入ったの。」
ミミーは反射的にライデンという単語に反応した。
「量産化に成功したの?やるわね。」
興味を示しはじめた人間に話を聞かせることはたやすい。モーリスはさらに続けた。
「その横流しする予定のライデンを差し押さえるのが今回の任務よ。」
「監査部の仕事を取ってしまっていいのしら?」
あたかも獲物を狙う動物がわざと獲物から目を離して、自分は興味がないとアピールするかのようだ。上層部もモーリスも人の動かし方は心得ている。
「監査部がやったのでは株主にそれを開示しなくてはならなくなる。デッドリー・ダッドリーだって事は公にしたくないはず。今の時代にフレッシュ・リフォーに逆らうことは即ち経済界における死を意味するからね。横流しの件に目をつぶるかわりにライデンを納品させて二度とRNAに内通しようと思わせなくする。これが今回の任務の目的よ。」
ライデンの量産型を見に行くだけの為に月に行きかねない彼女にとって、願ってもないことだ。そして自分たちが行くということは当然、武力衝突が高い確率であり得ることを示している。名誉挽回の機会も用意されている。うまく乗せられていることはわかっていても気持ちを抑えられない。結局は仕事の中で結果を出すこと以外に道はないのだ。
「出発は?」
「明後日よ。」
「了解」といって部屋を出ようとするミミーをモーリスは慌てて呼び止めた。
「ちょっと、まだ補給とここの引き継ぎの説明が残っているわよ。」
その声に振り返らずにミミーはそのまま歩きつつ答えた。
「どうせ補給を受けるのはここではないのでしょう?なら今でなくてもいいじゃない。データを私の部屋に送っておいて。後でチェックするわ。引き継ぎは現地スタッフに任せればいいと思うし。とりあえず休ませて頂戴。セントラルベース消滅のレポートも書かないといけないのよ。」
そう言って部屋を出た。モーリスは仕事とはいえ、彼女が少し気の毒に思えてきた。
「大変ね、マリオネットは。死ぬまで踊らなくてはならないのかしら。気づいていても辞められないのだから、なまじ頭のまわる娘は損ね。」
「彼女は時代のヒロインであってもらわねばならん。」
先ほど通信を切ったと思われたウォレンが再びモニターに姿を現した。どうやら音声回線は切っていなかったようだ。
「若き美貌の女隊長、敗北と挫折を乗り越え再び戦場に舞い戻る・・・。マスコミが飛びつきそうな話題ですね・・・。」
顔には出さないが正直モーリスも呆れていた。そこまで浅ましいと憤りさえ感じない。だが仕事に個人の考えは持ち込まないのが彼女のポリシーだ。
「ただ勝つためだけの戦闘などSHBVDに任せておけばよい。彼女には見るものを魅了する戦いをしてもらわなくてはな。その意味では今回の戦闘は充分合格点をつけられるよ。」
「私は補給物資の確認と引き継ぎの部隊との打ち合わせがありますので。」
モーリスはさすがにその場の空気の不快さに根をあげて部屋を出た。

 格納庫ではVRの修理と整備が慌ただしく行われていた。明後日に移動を控えているのだから当然だ。その殺人的日程にさすがのマルファスも少々疲れていた。なにせ無事といえるのはカインのテムジンとミミーのライデンだけで後は五体のいずれかをなくしているか、Vコンバーターを損傷しているかのいずれかだった。上のデータルームから下の現場を見下ろして、マイクで指示を出す。
「そこのロングランチャーはまだ使えるから武器庫に運んで・・・違う!それじゃなくて!そう、そっちの!」
「マルファスさん、五番機はだめですね。完全にコンバーターがやられて回りの回線とスケルトンが使いものになりません。」
整備員の連絡がくるたびにマルファスは右手を白衣のポケットから出して乱れた髪をかきあげ、ため息をついた。
「だめか・・・。これで四機目。どーすんのよ、これ?」
「デイビット機も下半身のスケルトンはだめですね。」
スタッフの悪い知らせにマルファスはさらに大きなため息をつく。
「やれやれ・・・。こうなったら使える部分は他の機体に回して後は廃棄するしかないな。」
そこにデイビットとカインが入ってきた。
「どんな感じだ?」
「どうもなにも、派手に壊してくれたよ。ほとんどはだめだね。」
デイビットの問いにマルファスは見も蓋もない答えをかえした。
「俺のもか?」
「ええ、下半身は全部交換ね。」
「やられたのは膝だけだろ?」
「それが違うのよ」といってマルファスは手前にあるモニターを指さした。端末を操作してデイビットのテン・エイティを映し出した。
「膝のちょうど真上、電子系統の配線や神経伝達組織が集まっているところを打ち抜かれてる。こうなると大腿部と腰部の接続も一からやり直し。結局下半身を全部取り替えたほうが手間も時間もかからないのよ。」
「参ったな・・・。」
「参っているのはこっちよ。いくらなんでもこれじゃあ部品が足りないんだよ。プラントに持ち込んで修理を頼んだ方が早いね。」
普段は修理や整備について、メーカーの手が入るのを嫌うマルファスだが今度ばかりはお手上げといった様子だ。それもそのはずである。部隊の三分の二以上が壊滅しているばかりか、先の二機以外は中破以上のレベルで損壊している。事実上の全滅といっても過言ではない。
「マルファス中尉、モーリスさんに補給のこと聞いてみましょうよ」
スタッフの言葉に「そうね」と力なく答えると、回線でモーリスを呼び出すことにした。すると扉のすぐ向こうで携帯端末の着信音が鳴った。扉が開き、モーリスが入ってくる。
「ちょうどよかった。今呼ぼうと思ってたんだよ。」
「補給のことでしょう?これよ。」
そういってマルファスに端末を渡す。
「期待していいの?」
彼女の問いにモーリスは自信たっぷりに答えた。
「私が本社に掛け合って無理をいって回してもらったの。感謝してほしいわ。」
データを見るなりマルファスはややオーバーに両目を大きく見開いて歓喜の声をあげた。まるで誕生日のプレゼントを開けるかのような仕草だ。
「わぁお!!すごいじゃない!これ新型でしょ!?」
「どれどれ、俺にも見せてくれよ!」
デイビットがマルファスの後ろからのぞき込む。背の高いデイビットは腰をおって彼女の肩に顎を乗せた。
「ほんとだ、これこの前ロールアウトしたばっかりの奴じゃねぇか!しかも五機もかよ!気前がいいねぇ。」
「ちょっと、ルース少尉。あなたどうしてこんなところにいるの?休憩時間中でしょう?」
デイビットはモーリスの注意に片目をつぶって口をへの字に曲げておどけてみせたが、モーリスにはこの手の方法は通用しなかった。
「休むのもパイロットの仕事のうちでしょ。部屋にいきなさい。明後日には月に行くのだから、今の内に身体を休めておきなさい。」
「はーい。」
デイビットは野太く低い声で不健康そうに返事をすると扉を出ていく。
「ナスカ少尉、あなたもよ。」
「は、はい。」
退出しようとするカインをマルファスが呼び止めた。
「ナスカ少尉。」
振り返るカインに笑顔をつくり、感謝の意を示した。
「君がいなかったらRKGは全滅していたよ。ありがとね。」
カインはその言葉にとまどった。お礼をいわれることなんてない。自分がアベルを倒していればこんな結果にはならなかったはずだ。
「いえ、そんなこと・・・。失礼します。」
カインはそれだけ言ってすぐに部屋を出た。
「シャイな性格なのかな?」
「いいえ、別の理由があるみたいよ。」
マルファスが何かまずいことでもいったかという表情をしたので、モーリスはとりあえずそう答えておいた。

カインはデイビットに通信をうけて初めて時間の経過に気がついた。もう二時間にもなる。その位シュミレーターに集中していた。ふと我に返ってみれば全身が汗で濡れ、額と前髪から汗のしずくが落ちそうだった。
「帰ってきて早々そんなにやったら身体がもたねぇぞ。少し休めよ!」
先の戦闘データを元につくられたシュミーションをもう四回も連続でやっている。疲れるはずだ。
「おお、すげえな。一回も撃破されてないじゃねぇか。さすがだな。」
「そんなことないですよ。ルース少尉もやりますか?」
「いいよ、俺は。これからコーヒーでも飲みにいこうかと思ってんだが、良かったらつきあわねぇか?ここの基地の喫茶店はコーヒーがうまいんだ。」
「ありがとうございます。僕本場のコーヒーって飲んだことないんです。月生まれなもので。」
その言葉は事実であっても本心ではなかった。だがデイビッドが自分を気遣ってくれているのに気づいた以上、それを無碍に断るのは気がひけた。デイビットは白い歯を見せて笑うとカインをシュミレーターのコックピットから引っ張り出した。
「そうと決まればまずはシャワー浴びてさっぱりしてこいよ。帰ってきてまだシャワーも浴びてないんだろ?」
どんと背中を叩かれ、カインはシャワールームにいくことにした。
「外にでてすぐ右手にある。待ってるぜ。」
カインが部屋を出ていくのを確認して、デイビットはシュミレータールームの休憩用ベンチに腰を下ろした。そして肘を太股の上に乗せ、組んだ両手に顎を置いた。静寂がくるとその度に頭の中を支配するものがあった。

 「また、守れなかった・・・。」
戦場で死傷者がでるのは当然のことだ。そしてそれは決して自分たちだけではなく相手も同じだ。実際、OMGの前から戦闘機のパイロットとして幾多の戦いを潜り抜けてきたデイビットはその現実を目前に見てきた。白兵戦で死んでいった仲間も大勢いる。しかし、例え戦場で十五年以上生きてきても、仲間の死は決して忘れない。瞼に焼き付いて離れなくなる。今度の部下はOMGをともに戦い抜いてきた仲間だった。その半分以上が死んだ。言い様のない何かがデイビットを支配し、顔を手のひらで覆う。何度味わっても慣れることのないのは仲間の死だ。その度に彼らに自分は生かされていると感じる。だから自分は今生きているし、次の戦場でも生き残ると思っている。驕りではなく、自分一人の命ではないと自覚しているからだ。そしていつも誓うのだった。『次こそ死なせない』と。だがその度に挫折感を味わうのだった。その中でも今日は一際ショックが大きい。もしかしたら一人だと泣き出しそうな気がして、カインを誘おうとしたのかもしれない、デイビットは一つ大きくため息をついた。その時、自動ドアが開き、誰かが入ってきた。慌ててデイビットは顔をあげ、いつもの表情を作った。
「あら、ルース少尉?」
入ってきたのはミミーだった。ラフな、ややゆとりのあるシャツにジーンズをはき、長い髪を後ろで無造作にとめてある。露出した肌の面積に比例しない色気をかもしだしていた。そのことに意識をしていないところが彼女の魅力を一層増している。極めて自然体の美しさだ。
「おお、あんたか。」
ミミーは大きな目を少し見開いて驚いた表情を見せた。
「まさかあなたがここにいるなんてね。」
「まさかあんたが今日もここに来るなんてね。」
彼女は一番手前のコックピット、先ほどカインの使っていたところに座った。そしてまだ途中でポーズしてあることに気がついた。
「ああ、そいつはあの新人がさっきやっていたやつだ。」
デイビットの言葉に「ふ〜ん」と頷いて、そのスコアを見てみる。その内容にミミーは思わず感嘆の声をあげた。
「すごいわ、さすが『英雄』と呼ばれるだけのことはあるわね。テムジンでこれだけの結果を出すなんて!」
「だが、その『英雄』は相当今日の負けにへこんでる。」
デイビットは立ち上がって外へ出ようとした。
「負けてショックを受けない人間はいないわ。」
「受けかたはそれぞれだ。悔しいと思う奴もいれば、もうだめだって潰れちまうやつもいる。」
「仲間が死んだことを自分のせいだと自己嫌悪する奴も・・・。」
その言葉にデイビットの眉が少し動いた。ミミーはカインのデータをセーブすると、コックピットから出てそこに寄り掛かって肘を立てた。
「自分を責めてもしょうがないわよ。」
デイビットはミミーの方をまっすぐに見た。その瞳にあるのは怒りだった。
「敵はたった三機だった!もっとうまくやれたらあいつらは死ななかった!」
「それは結果論よ。」
「結果から逆算して何が悪い!それがベストであったならそうする責任が俺にはあった!命を預かっているならそうできなかったことへの償いは必要なんだ!」
「その償いが一人自分を責めて痛めつけることなの?」
デイビットは壁に強く拳をたたきつけた。握り締めた手が小刻みに震える。
「あんたはそうやって割り切れるかも知れないが、俺にはできねぇ!傭兵なんてやっているやつに家族を持っている人間は少ない。保険金を受け取る相手さえいないんだ。誰に対して償えば、誰に対して謝れば、あいつらは救われるんだ!?」
ミミーはデイビットの激情に心の中で強く共感した。そうだ、そのとおりだ。しかしそれは表に出すことは決してできない。なぜなら自分は隊長だからだ。ゆっくりと間をとって彼女はデイビットから視線を外した。肩で息をするほど興奮していた彼が呼吸を整えた頃を見計らい、口を開いた。
「ルース少尉、死んだ人間はもう、死んだ時点で全て終わってしまっているの。彼らの葬儀をする理由は残された人間が救われるためよ。これからも彼らのことを想いながら残された自分たちがどう生きるか。それを考えて生きていくことが残された者の使命。理解することね。所詮、人間は人の死を忘れることはできないのだから。」
デイビットは自分よりも年下の、しかも女に諭されていることに屈辱を感じなかった。目の前の女もまた、人の死を理屈で理解していないとわかるからだった。
「すまねえ、中尉。熱くなっちまって・・・。」
「いいのよ」そういってミミーは微笑んだ。
「私は貴方の隊長だもの。それに、猫撫で声で『君に責任はない。あれはしょうがないことだった。』なんて言われるより遥かに気分がいいわ。」
「上の連中が何か言ったのか?」
「なんでもないわ。」
軽く首を振って否定したのはプライドだった。ミミーはポケットからディスクを取り出して、カインのそれと交換した。ひょいとディスクをデイビットに投げる。それを人指し指と中指の二本ではさみ、彼はそれをそのまま流れるような動作で胸のポケットに滑り込ませた。
「三時間後にはミーティングをやるから、そのつもりでいてね。」
ミミーはシュミレーターを始動させ、コックピットに入っていった。扉が閉まり、密閉空間をつくりだす直前にデイビットは声をかけようとしたが、一瞬のためらいで彼女の姿は見えなくなった。


 「ふざけるのもいいかげんにしやがれ!!」
ヴァイスはモニターに向かって思いきり怒鳴った。しかし相手はまったく動じた様子もない。それもそのはずだ。相手は顔を見せていない。映っているのはその人物を示す数字が画面中央に大きくあるのみ、他は真っ暗だからだ。
「ヴァイス、熱くなるな。」
今にもモニターを拳でたたきつぶしそうな勢いのヴァイスを、身体を入れるような仕草で制止したのはアベルだ。だが明らかに彼の目にも不信感と憤りの感情がある。
 ここはRNAの大型航空輸送機の内部、中央司令室のすぐとなりの通信室。ここにアベルたちは回収され、帰還するところだった。そこは比較的狭く、三人が入ると余剰スペースはそれほどない。高性能の通信機器が部屋をぐるりと取り囲んでいる。本来は機長や現地司令官が機密事項を中央機関に報告したりするために用いられる部屋だ。
「どういうことだ、約束がちがうぞ?」
冷静なアベルですら、感情を制御しきれていない。他の二人の怒りは推して知ることができる。
「確認の意味だ。君達の信頼性のね。」
男とも女とも取れない人工の声がさらに彼らの神経を逆撫でする。それについて声の主は気がついているのか、それとも気にも留めないのか。
「これ以上、何が望みなんだ!?俺たちはあの天下のRKGを壊滅させたんだぜ!?たった三機でだ!今度はSHBVDとでもやりあえっていうのか!ああ!?」
ミカエルとの契約ではこの任務が成功した暁には三人をRNAの正規兵として雇用することになっていた。それがいざ本格的な交渉という段階で新たな任務を要請されたのだった。
「君達の腕は確かに一流だ。しかし組織はそれだけでは人を雇うことはできない。まして我々のような非合法の組織は機密の保持の面から人間性も判断しなくてはいかんのだよ。」
「そういうことだ。仮に、だ。RNAが組織としての危機をむかえて兵士たちの労働条件が一時的に悪化したとしよう。そのとき、RNAを見限り他の組織に簡単に移籍して情報をそとに漏らすような人間は例え優れた能力をもっていたとしても雇用できない。わかるだろう?」
今度は別の声がいった。こちらは低めの人工ヴォイスだ。
「わかった。俺たちに何をしろと?」
「アベル!」
「アベルさん!」
二人を片手で制止すると、アベルは振り返ってモニターを見た。
「ただし、こちらとしても無条件でその要求をのむわけにもいかない。その仕事を成功させた場合は俺たち全員を中尉待遇以上で受け入れることを約束しろ。」
少し回答に時間がかかった。どうやらむこうでは複数の人間による協議がおこなわれているようだ。やがて先ほどの中性的な声の主が回答した。
「よかろう。任務成功の場合は君を大尉待遇、二人を中尉待遇で受け入れることを確約する。」
「今度また何か条件をつけるようなら、こちらにも考えがある。それを肝に命じておけ。」
「承知した。」
アベルの言葉は激しくはないが相手を威圧する迫力がある。それはモニター越しの向こうにも十分に伝わっていた。具体的な内容をきかずともアベルの意図を読み取った点で彼らも愚者ではない。普通ならパイロットごときに何ができると考えてしまいがちだ。アベルたちの実力を理解してもいるということだろう。
「具体的な依頼内容についてはミカエルくんから説明をうけてくれ。では失礼する。」
画面が切り替わり、ミカエルが映し出された。申し訳なさそうに眉間にしわをよせ、上目使いでこちらを見ている。
「本当にごめんなさい!こんなことになるなんて、私も後で知らされたものだから。」
「かまわんさ。そのかわりこちらも有利な条件を引き出したからな。」
「そういってもらえると気が楽になるわ。」
そういって彼女は頭を下げた。
「なんだかアベルさん、あの人に優しくないですか?」
「まったくだ。涼しい顔しやがって。もしかしてアベルのやつ・・・。」
「おい、ミッションの内容だ。チェックしろ。」
後ろでひそひそ話しているところに電子ボードを渡そうとするアベルを、二人は肩を寄せあうようにしながらのぞき込む。
「どうした?」
アベルが無反応なので、ヴァイスは興味を失い、頭を掻きながらボードを受け取った。あいかわらずからかい甲斐のないやつだ。ぼそっとこぼしてジョナサンと目を合わせた。