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Episode17 「逃亡者

「戦闘データだけとなると、報酬は四十パーセント、最下級の三等兵から、ということになるけど、いいかしら?」

「ああ、そういう約束だからな。」

アベルは力なく答えた。先ほどまでの激しい戦闘で疲労していることは確かにあるが、その真意は明らかだった。ミカエルはアベルの心を感じ、言葉を慎重に選びながらいった。彼女は案外、恋をすると献身的になる女性のようだ。今時珍しい。

「私が何か力になれないかしら?今回の任務は、ただでさえ成功の見込みはほとんどなかったのよ。それを急に要請したのだから、無理もないわ。」

「その必要はない、ロゼッタ大尉。結果が全てだ。契約通り、三等兵からのスタートで構わない。それは他の二人も納得している。」

「トップオブアファームドともあろうものが、最下級からなんて、おかしいわよ。せめて士官クラスでなければ・・・。」

「心配しなくてもいい。三ヶ月でそこまで上がってみせる。」

余裕のアベルにミカエルは少し救われたが、彼女の中にあるこだわりとしては、彼には大尉以上の階級でなくては格好がつかない。今、ミカエルは輸送機にて帰還途中のアベルと端末のモニターを通じて交信していた。どうやらアベルは個室になっている通信室からこちらにアクセスしているようだった。他の二人はその場にはいない。おそらくは休憩中だろう。モニター越しにでも、疲労が彼の両肩にのしかかっているのがはっきりとわかる。それほどの激戦だったということか。

「戦闘データをそちらに送る。受信を確認してくれ。」

アベルはそういって小さなカードを五、六枚ポケットから取り出し、端末の差込口に入れた。情報が送信され、ミカエルは受信完了を確認した。通常、世界中に張り巡らせた回線とは別に、組織は独自の情報網を所有している。そこは、例えどこからアクセスしても、他の組織にその情報が渡ることはない。戦闘データのような膨大な量の情報であっても、光通信にて一瞬に送信できる。旧世紀の末期に整備されたこの設備は、技術の革新に伴い、様々な改良を加えられたが、基本的な構造そのものは大して変化していない。それほど当時にしては最先端の革新的技術だったといえる。逆にいえば、人類の発展が電脳暦に突入してから、大きく進化していないことを指している。中世期以来の文明低迷といわれる所以だ。

 月面で発見されたオーバーテクノロジーは、それまで人類の目にふれることなく眠っていた。大規模な遺跡は月のいたるところで発見され、人類がかつて一度も触れたことのないそれは、人類既存の技術の追従を全く受け付けないほどの圧倒的なものだった。そこから掘り出された遺跡の一部が、現在のVRの素となっているバル・バス・バウ・ユニットであった。その技術の再現は、やがて資金難からその方向性を兵器開発にねじ曲げられ、その結果テムジン、ライデンといった優れた戦闘用VRを生み出した。

 だが、ここで一つの疑問が浮上する。なぜ、この時期になって大規模な遺跡が発見されたのか。旧世紀の後期から月に関する研究は盛んで、電脳歴に移行してからは、人類が居住するための空間設備の開発が積極的に進められた。その過程において、これらの遺跡は発見されなかった。それだけではない。今まで、遺跡などに関する調査は既に終了していたと考えられていた地球の南米大陸にて、月面で発見されたものと同質、同時期の遺跡が発見されたのだ。しかも、大規模なもので、その範囲は十数キロ平方というものだった。それまでそのような発見が一切されていなかった地域において、これら大規模な遺跡が存在したことは、人類に衝撃を与えた。かつて、人類以外の知的生命体が存在したことを示していたからだった。だが、それ以上に驚くべき事実があった。かつてその地区に住んでいた人の話では、そのような遺跡の片鱗は見られなかったのだ。すなわち、これらの遺跡は電脳歴に移行してから突如現れたことになる。この不可思議な現象について、学者の間で激しい論争が起こったが、決定的な証拠と理論に基づいたものは最後まで現れなかった。それよりも、そこに存在するオーバーテクノロジーを人類にどう活用してゆくか、に焦点は移行した。だが、この動きも全ては水面下の出来事だった。なぜならこれらの遺跡に関する情報は発見したDN社によって巧妙に隠蔽されたからだ。オーバーテクノロジーを独占することで、現状の停滞を打破しようとした同社の思惑は、やがて遺跡の逆鱗に触れ、最大規模の月面遺跡「太陽砲」の暴走によって暴かれることとなった。DN社はこの事態を収拾するため、同社の持つすべての力でこれに臨んだ。それがかの有名な「OMG(オペレーション・ムーン・ゲート)」である。

 未知の遺跡に対する人類の態度は、非常に単純明快でかつ、浅はかだった。遺跡そのものの研究は収益に結びつかないということで軽んじられ、遺跡の技術を自らの利益にどう結びつけられるか、だけを追求したことが、結果として自らの身を滅ぼすこととなった。しかし、自らの身体で痛みを体験しなければ理解することのできない人類は、再び過ちを犯そうとしている。「プロジェクト・タングラム」。全てが謎に包まれたその計画は、いよいよ人が猿から神になるための「進化」であるという。その傲慢さに止まることを知らない人。統一された制御機構を持たない今の人類にとって、あまりに高度な神の知恵は自らを苦しめる毒でしかないのか。

「今、確認したわ。こちらで分析を進めることにするわ。ご苦労様。」

「ちょっと待ってくれ。」

「どうしたの?何かあったの?」

「機内放送だ。どうやらトラブルらしい。」

アベルはそういって一端モニターの前から姿を消した。しばらくして、彼が戻ってきた。

「今、DNAの部隊に捕捉されているらしい。もしかしたら戦闘もありえる。また、後で連絡をする。」

「その時までに上に話はしておくわ。私からも頼んでみる。」

「すまない。」

「あなたに逃げられたら、私も、RNAも困るってだけの事よ。」

アベルは軽く頭を下げると、通信を切った。これ以上の通信は敵に傍受される可能性がある。ミカエルは通信が途切れた後、名残惜しそうにしばらくモニターの前に座っていたが、やるべき事は山ほどあることを思い出し、「よし!」と膝を軽くたたいて立ち上がった。

 ヴァイスとジョナサンはパイロットの控え室でパイロットスーツを着用しながら、機内放送に耳を傾けていた。そこにアベルが入ってくる。

「どんな状況なんだ?」

「あ、アベルさん。」

ジョナサンは振り返りながらヘルメットを頭にかぶった。アベルは近くにある端末に触れ、起動させると、輸送機の中央コンピューターにアクセスした。モニター上に今の機体の状況が映し出される。どうやら、フロントベイ基地から飛び立ったDNA航空部隊に追跡を受けているようだ。総員、第二種戦闘態勢に移行せよ。本格的な衝突になることを考慮に入れた対処に機長の冷静さと自分たちに迫る危機を感じたアベルは、モニターから目を離さずにパイロットスーツを着始めた。

「やばいぜ、アベル。」

「わかっている。」

スーツの首のファスナーを上げて、そこでアベルはようやく視線をモニターから外した。ヴァイスの言葉にぶっきらぼうに答える。その返答にヴァイスはあきれたように両手を外に開いて肩をすくめた。

「わかっている、てなお前。ここは上空八千メートルだぞ。地上とは訳が違う。アファームドはここじゃただのでくの棒だ。」

「いきなり撃ってきたりはしないさ。いくらここが奴らのテリトリーだとしても、警告に従って退避すれば戦闘を回避できることもある。」

アベルの判断は一見楽観的だが、現状には適したものだった。この機体はあくまで中立の運送業者保有の輸送機である。RNAが契約により調達しているに過ぎない。その契約内容も敵は知らないはずである。そうなれば、本機はDNAの制空権域に迷い込んできただけの存在となる。素直に圏外への離脱をすれば、問題はない「はず」である。だが、事はそう簡単にいかないのが現実だ。機長の放送が入る。

「相手はDNAのフロントベイ基地所属のホワイトスネイク隊、本機のフロントベイへの強制着陸を要求している。断れば即、撃墜すると言っている。」

「ほら、いわんこっちゃない。」

ヴァイスは大きく鼻から息を吐き出して、ため息を作った。

「こっちの要求を一方的にはねのけるなんて。この空域だって、もとは公域なんだから精々警告を出すことぐらいで、通過しても強制力は行使できないはずなのに。公域管理会社だって黙ってませんよ、こんな横暴。」

ジョナサンは腹立たしげにロッカーを軽く蹴飛ばした。

「もしくは、俺達のことがやつらに漏れているか…だな。」

ヴァイスは最悪のケースをつぶやいた。その言葉に三人はしばらく黙り込んだ。機内放送と、やかましく鳴り響く警報だけが耳に入ってくる。三人ともそれだけはあり得ない、あって欲しくないと思っていたことだったからだ。しかし、相手がこうも強硬な態度に出るということは敵にそれなりの確信があることも充分考えられる。

「かもしれん。俺達を腹に収めていると知ったら、もちろん、ただでは済まないだろう。かといってこの状況下で戦闘はできない。指示に従うしかないな。」

アベルはその沈黙を破り、ヘルメットをかぶった。首の付け根部分を固定し、準備を終えた。

「よし、コックピットで待機だ。いつでも動けるようにアファームドを起動しておくぞ。」

「ああ、わかってる。」

「了解。」

三人は同時に控え室を出た。次の戦いもシビアになりそうだ。疲労を感じている身体を奮い立たせ、格納庫へ走った。

 今回もミックの判断が正しかったことに、シドは感心すると共に面白くない、と思った。いつもあいつの言うことが正しいのでは、反論した自分の立場がない。

「ミック、お前の言う通りだ。この空域にこんな大型の輸送機が飛行しているわけがない。不自然だ。絶対に何かある。」

ロイコフは大きく回りこんで、輸送機の前に出た。それに続き、ホワイトスネイク隊が輸送機の前後左右を固める。ホワイトスネイクはフライトユニットを装着して、霧の濃い空域を飛行していた。周囲は雲が多く、視界は最悪だった。無論、VRには関係がないが。

 はじめは勧告を行い、それでも従わない場合のみ強制力を行使する予定であったが、ターゲットとなる輸送機の規模からロイコフが急遽予定を変更してフロントベイに着陸命令を出した。輸送機は、自分たちは計器の故障でこの空域に迷い込んだだけだ、と主張したが、その言動に不審な点を感じたミックは輸送機の側面に移動し、センサーで中の様子を探った。案の定、装甲の表面に特殊な加工がされていて、格納庫に入っているものを確認できなかった。それは即ち、何か重要かつ後ろめたいものを運搬していることを表している。最後まで抵抗をしていたが、輸送機の機長はあきらめてホワイトスネイク隊の指示に従う意向を見せた。警戒を怠ることなく、シドは輸送機の後方をついていくようにゆっくりと飛行した。退屈せずに済みそうな気配を感じ、シドは知らずに自分の心臓を興奮させていた。もしかしたら、射撃訓練よりも沢山弾丸が撃てるかもしれない。

 月の最大の港、パブリックポートは流通の動脈としてかけがえのない存在である。ここには様々な種類の宇宙船が停泊できるように、多様な形のドッグが用意されている。あらゆる月への物資はこのパブリックポートを介して月の各方面へと輸送されてゆく。月からの物資もまた同様に、この港を通って地球やコロニーに運ばれてゆく。かつて、太古の時代から港は産業や流通、経済の中心地として栄えてきた。旧世紀の後期には様々な移動手段や取引形態の確立により、港の役割は相対的に低下したが、なお重要な場所であることには変わりがなかった。なぜなら、どんなに優れた通信手段をもってして契約を交わそうとも、人や物質を運ぶには船や自動車などの運搬手段が不可欠であるからだ。当たり前のことだが物質は光通信で運ぶことはできない。電脳暦に移行してからもそれは変わることがない。

しかし、遺跡から発見された技術の中に、その不変ともいえる常識を覆すものがあった。それこそが定位リバースコンバートテクノロジーである。この瞬間転移技術が確立されれば、人類はかつてない繁栄を手に入れることができる。全ての最先端の技術は軍事目的研究から生み出されてきた。これが技術を普及させるための宿命であるのなら、人はまた血を流すことで尊いものを獲得することになる。それが血を流すだけの価値のあるものであったかは、後世に生きる人次第である。だが、悲しいことに、彼らはその流された血の意味どころか、血が流された事実さえ知りえない。これを矛盾と呼ぶか、世の理と呼ぶかは個人の価値観に委ねられるが、少なくともその時代を生きた人は事実を後世に伝える義務がある。それを怠り続けた結果がこのメビウスの輪を作り出したのかも知れない。

RKGを乗せたライジング・キャリバーはその最南端、第二十三ドッグに入港した。ここは唯一DN社の系列と異なる港で、誰でも自由に利用することのできる場所であった。しかし、ここ数年、国際戦争公司がその莫大な財力を背景に、このパブリックポートを買収しようという動きが活発になり、各方面から猛反発を受けている。国際戦争公司はこの港を限定戦争戦域として設定しようと考えている。この動きの背景には現在、経済界における最大勢力を誇る第八プラント、フレッシュリフォーの支援がある。国際戦争公司がこの港を買収し、限定戦争のフィールドとして利用した場合、産業界、特に月に本部を置く企業は大打撃を受ける。そうすることで国際戦争公司は法外な利用料を取り、更なる発展を遂げようと画策している。必然的に企業は真正面からこれらの動きを批判する一方で、国際戦争公司やフレッシュリフォーに対する陳情を行う。それをやらねば、その企業は流通手段を失うことすらあり得る。それを阻止するための陳情が、結果として、経済全体をフレッシュリフォーの思惑通りに運ばせることにつながる。

「ライジング・キャリバー、ドッキング完了しました。」

キースの報告にミミーは頷いて艦内放送でそのことをクルーに伝えた。この港には長居はしない。すぐにでも第五プラントの本社ビルに向かわねばならない。しかし、その義務が課せられているのはミミーとモーリスだけである。即ち、他の乗組員達はしばしの間休息を取ることができるというわけだ。ここのところ緊張が長く続いた兵士たちには明らかな疲労の色があった。ミミーは自分が休みを取れないことをひがみつつ、休暇を宣言した。艦内のあちこちで歓声と口笛がおこる。皆、待ち望んでいたことだろう。ふと、彼女は自分が今休みを取れたらどうするだろう、と考え、目的地は一緒であることに気づいた。仕事のついでにレジャーも盛り込んでしまおう。モーリスがうるさいことを言いそうだが、自分で振ってきた話だ。そうは簡単に断れまい。いざという時は巻いてしまえばいい。

「サルペン中尉、いいかしら。」

そんなことを考えながら、ブリッジの椅子に座っていると、モーリスが手招きをしている。ほんの少し周りに目を配り、宙を泳ぐように優雅に長く美しい髪をなびかせながら、ミミーはモーリスの近くに降り立った。その後を追うように髪がゆっくりとダンスを終える。

「今回行く本社ビルでの交渉は、本社からの指示に従って行動してもらうわ。いいわね?」

「了解。で、どんな演技をしてみせればいいの?」

ミミーの皮肉にモーリスは表情を変えずに電子ボードに目を通した。

「当然かとも思うけれど、相手はまず事実を否認するだろうから、こちらもそんなに強硬な態度では望めないわ。決定的な証拠を握っている訳でもないし。だからある程度決まりきった内容の勧告になるわね。」

「そんなことなら文書で出せばいいんじゃない?ウォレン中将直々でさ。」

「これだから職業軍人は…。フェイス・トゥー・フェイスで交渉するのは何も相手に確実に内容を伝えることが目的じゃないの。実際に顔を見て話をすることで、相手が何を考えているかを推測するのがねらいなの。相手がどんなにポーカーフェイスでも、やましいことがあれば必ず顔にでる。それを見極めるのがあなたの仕事よ。私はあなたがしっかりとそれをやるかどうか、監視する役に過ぎないんだから。」

モーリスの言葉にミミーは途端に自信を無くした。こういうことは一番苦手なのだ。実際、かつて信頼していた部下に裏切られたときは、直前まで気がつかなかった。

「明日は午前十時に本社ビルに訪問するようにアポは取ってあるから、近くのターミナルで待ち合わせしましょう。くわしい資料は端末に送っておいたから、すぐにチェックして。」

ミミーが言い訳をつくって逃れようと口を開いた瞬間、モーリスに遮られた。

「あ、時間厳守だから。モーニングコールまでさせないでよね。」