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Episode20 「闘技場

 狩人が最も慎重になる時はいつか。あたりを油断無く伺い、獲物が何処にいるかを正確に割り出し、双眼で獲物を捕捉するときだろうか。それとも、その爪を研ぎつつ必殺の時を待ち、じっとチャンスを狙っているときだろうか。否。このどちらでもない。狩人が最も全神経を鋭くとぎすますその時は、まさに獲物をその手中に捉えてとどめをさそうという瞬間である。獲物は追いつめられたときに、通常では考えられない激しい抵抗をすることがある。それは一つの命が今正に尽きるというときに、それ自体が放つ強烈な熱と光の体現である。星がその気の遠くなるほどの年月を生きた結果放つ超自然現象「スーパー・ノヴァ」。獲物が最期にくり出す渾身の一撃は凄まじき星星の滅びの輝きに似て、時に百獣の王すらひるませることがある。だから狩人もまた、自分の可能な限りの全力の攻撃を獲物にたたき込むのだ。それは、図らずも、狩人が獲物を捕獲し、食することで、命そのものを継承することに対して最大限の敬意を払っているかのようである。

 だが、いつの日からか人間は、自らが食する以上の獲物を捕獲するようになった。その目的は娯楽であったり、抑制された闘争心のはけ口であったりする。総じて今日の狩人は絶対的な優位から一方的に攻撃を加えられる状態を最良とする。しかしそれは誤りだ、と人々に気付かせてくれる男がいた。リスクを受け入れ、その死と隣り合わせの状態こそ自分の真の力を引き出してくれる。そして獲物が息絶えるまで、決してその手をやすめようとはしない。これぞ狩人のあるべき姿だ。その瞬間の輝きが見るものを引きつけて離さない。

 闘技場は熱気と興奮で溢れ返っていた。見渡す限り人の頭しか見えず、電脳歴において一つの箇所に人が集中することはめずらしい。割れんばかりの観衆の叫び声が会場を揺るがし、まるで月に小さな地震が発生しているかのごとくだった。ここは月の中心都市「アポロ」の地下、VR同士の闘技場「アポロ・メガ・ファイティング・スタジアム」である。一度に二十万人を越える観客を収容可能なこの施設は月に存在する闘技場の中では最大のもので、唯一の「メジャー・リーグ」会場として位置づけられている。直径二キロメートルの巨大な円形のフィールドに四機のVRが待機していた。この四機がバトルロイヤル形式で戦い、最後に残った者が勝者となる。その内の一機に熱い応援のかけ声がかけられ、そのVRを押し潰そうとしている。彼がチャンピオンであることは間違いないだろう。

 究極にまで進化した通信機能はスポーツ観戦にしてもヴァーチャルリアリティーの中で再現でき、あたかも自分が選手の一人であるかのような錯覚を起こさせることさえも可能にしている。よって、会場にいかなくても観戦は可能だし、運悪く全体が見えない席に着くことも考慮すれば、仮想空間での観戦の方がある種優れている。しかし、人は決してそれでは満足しないことはこの闘技場が完成したときにすぐに判明した。人は目前で人が傷つき、倒れ、血を流す現場を見なければ自身のサディスティックな欲望を満たすことはできないのだ。連日高額なチケットが瞬時に完売する実情を鑑みれば一目瞭然だった。ここでは実際に近くでVR同士の格闘戦を観戦できるだけでなく、個人の端末はパイロットのコックピットの様子を映し出す。正に人類が考え出した究極の闘技場である。そのルーツが古代ローマのコロシアムに由来することは、もはや説明するまでもないだろう。

 試合開始の合図は、けたたましいブザーだった。そのブザーに反応して観客もファイターも一斉に雄叫びをあげた。上半身をブルー、下半身をホワイトに塗装したサイファーが一番近いアファームドに一直線に突進する。先程際だつ声援を受けていた機体だ。地上の加速はそれほどでもないはずのサイファーのダッシュはアファームドのそれに迫る勢いだ。よく見ると、機体の腹が触れそうなほど低空で飛行している。しかし、距離が離れすぎていた。アファームドはそれに反応すると、素早くサイドステップで回り込もうとする。そして、サイファーの左側面からアタックナイフを突き刺した。誰もが華奢な機体に深々とナイフが突き立てられるシーンを想像した。だが、それは全く反対の事実をもって次の瞬間かき消された。金属が擦れ合う不快な音があたりの観衆の耳を襲った。思わず目をつぶった者が多かった中で、目を開いてその一瞬を見逃さなかった一部の観客は口を大きく開いて呆然とした。サイファーはくり出されたアタックナイフを肩で跳ね上げ、アファームドの懐にビームサーベルを突き立てていた。アファームドの背中から細身のサーベルが突き抜けて輝いていた。その光景は予想された事態の正反対だった。少し遅れて観客の歓声が再び地響きを起こす。そのときには既にサイファーは次の動作に移行していた。今度はもう二機のテムジンが突進してきた。明らかにサイファー一機にターゲットを絞っている。一番強い者を真っ先に協力して倒すのは、バトルロイヤルの基本戦術である。旧式とはいえ、各所に最新技術を盛り込まれて改良されたテムジンは、第二世代VRのそれに劣らない鋭い動きを見せている。左右から挟み込むように回り込むと、後方からリーチを最大限活かして切り込んできた。それを華麗にジャンプでかわしたサイファーだったが、それを読んでいたもう一機に空中から強襲された。ちょうどサイファーの正面からソードを縦一線に振り下ろそうとしたテムジンは、確かに手応えを感じた。しかし、それが敵を撃破したものではないとパイロットが息を飲んだ時には、テムジンは股から脳天までをソードで真っ二つに切り裂かれていた。空中にはテムジンの無惨な姿の他に、サイファーの左腕が飛んでいた。バランスを崩したサイファーはブーストを最大に吹かして機体を浮かした。このままでは地面にたたきつけられた瞬間にもう一機にとどめを刺されてしまう。だが、片腕がないことが機体制御に影響し、両足を地面に向けることができない。チャンスだ。テムジンはチャンピオンを仕留めるには今しかないと判断した。すぐにサイファーの真下に入り込み、ビームソードを構えた。そのまま背中を向けて落下してくるサイファーにソードを突き刺す。今度こそ絶体絶命の危機と思われたその時、奇跡は起こった。サイファーは残る右腕を下へ向かって振り下ろし、相手のソードにぶつけた。横から叩かれた形になり、テムジンのソードはその軌道を大きく逸らされた。さらにサイファーは腕の反動を利用して真下を振り向くと、そのままソードを払った。サイファーの着地と同時にテムジンの首が飛び、その次の瞬間には胴体が宙を舞った。会場を完全な沈黙が包み込み、誰もがその第一声を上げることが出来ないでいた。サイファーが勝利を宣言する剣を天に向かって高々と掲げるその姿を見たとき、大歓声がわき上がった。その声の津波は圧倒的な力を示した戦士を称えた。いや、戦士というのは正確ではない。彼は狩人だ。彼と同じ場所に立った時点で敗れた三者は狩られるべき獲物であったのだ。

 今夜の勝者も予想通り、最強の戦士ジョバン・トクノイの優勝だった。年間百試合を越える戦いの中で、ここ数年負けらしい負けを一切喫することのない「マジシャン」の十連勝目はぎりぎりの決してスマートではない勝利だった。勝利者インタビューの準備が進められようとしているが、にわかにサイファーのまわりの関係者やスタッフが慌ただしく動き出した。そして、そこに救急車両が入り込み、担架で運ばれる優勝者の姿があった。左腕を右手でおさえて苦しそうな表情を浮かべている。会場を支配した先程までの大歓声は彼の身を案じるどよめきへとその姿を豹変させた。

「気がついたか、全く、無茶をしてくれるよ。」

ジョバンは瞼を襲う強い光で目が覚めた。どうやら医務室のようだ。彼のベッドの横にはいくつかの最新の医療機器が並んでいた。大がかりな手術がここで行われたらしい。担架に乗せられたところまでは憶えていたが、そこから先は記憶がない。起き上がろうとして、左腕をベッドにつこうとして、感覚がないことに気がついた。どうやら麻酔が効いているようだ。

「傷は深かったんですか?」

ジョバンの問に、ドクターらしき人物はあきれてため息をついた。自慢の口ひげの乗っている上唇を上下に動かしてみせる。

「あのなぁ、ジョバン!他人事みたいにいってんじゃないよ!今日の試合は今までで一番無茶かつ無様だ!お前らしくないぞ?それとも俺に隠してどこか調子が悪いのか?」

「そんなことはありませんよ。少なくともこの前怪我をしたときよりは断然良いですよ。」

横を向いてさらりと答えるジョバンにドクターは更に癇癪を大きくした。

「一歩間違えば死んでいたかも知れないんだぞ!?それにあんな戦い方するなんて普通じゃない。幼なじみにも話せないような事があるのか!?そんなに俺は頼りないか?」

ここまで一気にまくし立てて、彼は一息ついた。そして今度は彼の横にある丸椅子に座って、うって変わって静かに語りかけるように話しはじめた。

「お前がそうやってそっぽを向くときは決まって何か隠し事がある。何年の付き合いだと思っているんだ。三十年だぞ?お前の癖などお見通しだ。そういう性格だからこそ、他人にも親にも言えないことを二人で相談してきたんじゃねえかよ。なあ、何があったか話してみろよ。金のこと以外なら何でも相談乗るからよ…。」

「ありがとう、ハワード。」

ジョバンは決して誰かに愚痴をこぼしたりすることはない。この世に生を受けたとき、頭が先かプライドが先かというほど、何よりも誇りを大事にしてきた男だ。そんな彼が唯一、両親以上に心を許せる相手がこのハワードだった。彼とは幼稚園から大学までずっと一緒だった。大学は彼が医学部でジョバンは宇宙工学部だったが、キャンパスは同じ敷地内だった。サークルも同じ登山部で、今でも時々一緒に山に登る。ジョバンがVRのパイロットとなり戦場で戦うことになると聞いて、ハワードはそれまで勤務していた病院を辞め、わざわざ最前線の医療現場に来てくれたのだった。それまでメール程度のやりとりはしていたが、数年間会っていなかった。その時ジョバンはハワードが単なる腐れ縁ではなく、真の友情を持つ男だと感じ取ったのだった。それ以来、ジョバンはこの闘技場のファイターとなってからハワードに一切のメディカルサポートを任せているのだった。それは身体面だけではなく、精神面のケアサポートも兼ねていた。

「心配をかけてすみませんでした。実は…。」

そう切り出して、ジョバンは先の屈辱的な敗北を話し始めた。それは、非常に遠回しで言い訳がましく、冬の間凍り付いた屋根のつららが春になって溶けはじめ、その先端から一滴一滴水が落ちる様子に似ていた。普通の人間では到底我慢できないような話を、ハワードは最後まで黙ってうなずきながら聞いていた。そのうなずきがジョバンの心を少しずつ癒していくのを、彼自身が第三者的な視点から感じていた。

 「すまないな、手伝わせてしまって。」

「いえ、どうせ出かけるあてもありませんでしたから。」

ジュリアの言葉に対して軽く首を振りながら、カインは到着したばかりの彼女の荷物を部屋に運んでいた。正直なところ悪い気はしていない。理由はともあれ、男が美女と同じ時間を過ごすことに異論はないからだ。

「君も着任して間もないそうだが?」

「ええ、ほんの一週間ぐらいです。」

「そうか、では君自身の身辺もまだ落ち着いてはいないだろうに。断ってくれてもよかったのだぞ?」

「いいんですよ。僕の荷物なんてたいした事ないんですから。それより、艦内の案内でもしましょうか?詳しいことはあやしいですけど、どこに何があるかぐらいはわかりますよ。」

言い出したカインの言葉に驚いて、ジュリアは瞳を少し大きくした。

「君もまじめな男だな。勤務時間外に仕事をしようというのか?」

「本来は隊長の仕事なんでしょうけど、サルペン中尉は休みなしですからね。それに、仕事イコール嫌なもの、きついものとは限らないでしょう?」

旅行用かばんをとりあえず部屋の入り口に下ろしつつ、カインは視線を外しながら言った。この男は目を見て女と話をするのは苦手のようだ。

「良いほうに解釈しても構わないかな?」

「結構ですよ。」

カインはさらりと答えた後、少し照れて大きなかばんを両脇にかかえて一気に奥の寝室まで運んだ。そのカインの後姿を、部屋のドア枠に肘をかけてジュリアは見ていた。口元がほころんでいる。もしこの彼女の表情を、かつて戦場でともに戦った仲間が見たらさぞかし驚くことだろう。

「これ、ここでいいですか?」

「ああ。」

十キロ以上はあろう荷物を二つ部屋のクローゼットの側に置き、カインは一つ大きく息を吐いて額に滲む汗をぬぐった。

「こんなものだろう。あとは自分でやるよ。ありがとう。」

「お安い御用ですよ。また何かあったら呼んで下さい。」

ジュリアはそのカインの言葉に反応した。微笑を浮かべてそのままカインに近づく。

「ナスカ君、私の感謝の気持ちを具体的に表したい。もう少しつきあってはもらえないだろうか。」

そこで一度ジュリアは言葉を切ると、少し言い出しづらそうに手に軽いジェスチャーを加えた。

「食事でもしないか、今夜・・・。」

「そんな、感謝だなんて、そんなつもりじゃ・・・。ディアス中尉。」

「ジュリアでいいと言っただろう?」

やや前のめりに迫るジュリアに圧倒されながら、カインはしどろもどろになっていた。

「ジュリアさん、いいですよ・・・。それと、僕もカインでいいです。」

「どうかな?無論君が嫌ならば無理にとは言わないが・・・。」

ジュリアの蒼い瞳の見つめられ、カインは身体が熱くなった。重い荷物を運んだせいなどではない。無理にとは言わない、といってもこの状況下で断れるわけがない。それは彼女もわかっての誘いだ。

「では、お言葉に甘えて・・・。」

カインは下を向いて一度視線を外した後、顔をあげた。彼女の魅惑的な微笑が一転、ぱっと明かりが灯るように輝いた。

「決まりだ、カイン。今夜はとっておきのレストランを予約してある。もちろん二人分だ。君もきっと気に入るだろう。」

「先に予約してあるなんて、後から断れないじゃないですか!」

笑みを含んでカインはジュリアに抗議した。してやったり、という表情のジュリアは笑いながら純情な青年を改めて気に入ったようだった。

「君は女性を誘ったことはないのか?」

「悪かったですね、甲斐性なしで。」

顎を引いて上目遣いでジュリアを睨むカイン、それがジュリアにはたまらなく可愛らしく見えた。そして本当のことを白状することにした。

「実は私も今が初めてなんだ。内心、心臓が破裂しそうだった。」

「嘘でしょう?」

「嘘じゃないさ、誘われたことはあっても誘ったことはない。」

「僕がはじめて?」

「そうさ。」

カインは慣れた誘い方にはじめてなんて絶対にうそに決まっていると思った。しかし、よくよく考えてみれば、今まで数え切れないほどあったであろう誘いのパターンを真似しただけかもしれない。自分が初めてだとおもったら、それは真実になる。少なくとも事実を知るまでは。カインはそう考えて納得することにした。

 第五プラント、デッドリー・ダッドリーは比較的新しく、また小規模の企業国家でありながら、現在では兵器開発メーカーとしてはムーニーバレーに次いで業界二番手の大手である。その第五プラントは月の辺境地区、パブリックポートから遠く離れたクレーターにその本部があった。そこはかつて地球最大規模の企業国家DN社が遺跡開発のために発掘した場所だった。遺跡を覆い尽くすように建設された工場群とオフィス街は人口が約三十万人の都市で、その構造は中心を大きなドームで覆い、その下にはクレーター全体を回転させる巨大な装置がある。これによって遠心力を発生させ、重力を得ているのだった。それはロシアンルーレットに形が似ていることから、ルーレットシティとも呼ばれる。ルーレットの内側の側面に住宅街とオフィス街が存在する。月の小さい重力が都合のいい工場地帯はその下に位置する。そして、クレーター最深部の中央に、デッドリー・ダッドリーの本社ビルが建っている。地下三十階、地上八十階の超高層ビルで、この都市に関する公的機関、警察、国防軍の本部などが全てこの建物に集約されている。

 パブリックポートから約三時間かけて、ミミーは空港に到着した。遠いとはいっても最新の旅客機に搭乗すればこの程度の時間で着く。そこはルーレットシティの中心に近い場所で、空港の待合室の窓からはずらりと並ぶ工場群を見渡せる。プラントが誇る最新設備、その力の源だ。入国の手続きを済ませ、ミミーは約束の待ち合わせ場所へと急いだ。時間重視のモーリスのことだ。きっと十分前には到着しているに違いない。ミミーは階段を下りて空港の出口にでると、そのままタクシー乗り場で歩いた。三分ほど行くと、飛行機の運転時刻に合わせて待機しているタクシーが並んでいる。三時間とはいえ、無重力に近い状態にいたため、若干身体が重いが、ミミーは何とか待ち合わせ場所に辿り着いた。すると携帯端末が鳴り、その小さい画面にモーリスの顔が映る。

「おはよう、サルペン中尉。今私もそちらに行くわ。あ、もう見えるかも・・・。」

ふと、視線を先ほどきた通路にむけると、彼女らしき人物が手を振っている。ミミーはそれがモーリスだと肉眼ではっきりと確認できてから、手を上げてそれに答えた。

「今朝は遅刻しなかったみたいね。」

「ええ、おかげさまで。」

モーリスの軽い皮肉をミミーは渋い顔で答えた。かつて脳神経を刺激して目を覚ます目覚し時計は試したが、ミミーには効果がなかった。そこでモーリスは原始的なベルが鳴り響くタイプの時計を三個も買ってきて彼女に押し付けたのだった。今朝の騒音はそのせいだった。おかげで遅刻しないで済んだのだが、彼女の中のどこか潜在的な部分はモーリスの親切に納得していなかった。

「さあ、いきましょう。」

そういってモーリスはタクシーの前に立ち、ドアが開くのを待って乗り込んだ。進まない気持ちを奮い立たせ、ミミーもそれに続いた。