BACK

Episode23 「胎動

ミミーはプラント行きのバスに飛び乗ると、そのままデッドリー・ダッドリーのVR工場まで直行した。バスは空いていた。通勤時間帯ではないからだ。ミミーは最前列の椅子に腰掛けると、近づいてくる大きな建築物の中を想像して一人にやけていた。その工場群は非常に敷地が広大で、見渡す限り大小の工場で埋め尽くされている。VRを生産し、また保管しておくためか、建物は総じて背が高い。内部には専用の鉄道が敷かれ、時速二百キロを越える速度でそれぞれの工場を結んでいる。運搬の対象は勿論資材と人間だ。この目前の工場も第五プラントが所有する生産力のほんの一部に過ぎない。だが、それも当然といえば当然だ。月に拠点をもつ企業国家は総じて生産性を有する産業の幅が狭い。地球に比べて過酷な環境にあるが故、重化学工業以外には向かないのだ。勿論、最新の技術をもってすれば月の地下でも農作物を作成することは可能である。しかし、そのコストは膨大で、地球で生産されるそれとは市場での価格競争など出来るはずもない。それよりも、一つの得意分野に特化した方が、効率が高い。第五プラントデッドリー・ダッドリーが巨大な工場プラント有している理由は、オーバー・テクノロジーを使った先進的な重化学工業により市場での競争力を強めるだけでなく、その内に抱える労働力すべてを受け入れるための受け皿としての役割も多分にあるのだった。

 工場の入り口の正面に停車したバスはそこでミミーを降ろすと、そのまま走り去った。しばらくあたりを落ち着かない様子で見渡していた彼女だったが、すぐに入り口らしきゲートを発見し、そこに向かって歩き出した。そしてそのまま何の手続きも取ろうとせずに中に入ろうとする。当然のごとく、警備員に呼び止められた。初老の気のよさそうな男だった。窓から顔を出すと、ミミーの顔を覗き込んだ。

「おや、見かけない人だね。ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。たとえDNAの将校さんでもだ。」

ミミーは無言で胸元からIDカードを取り出すと、チェックをするようにうながした。警備員はそれを受け取ると、セキュリティー管理の装置にかける。それはけたたましい音でエラーを告げた。

「あれぇ、おかしいな。ちゃんと許可を取ったはずなのに?」

無論、嘘である。工場の監査は三日後だ。今は入れない。

「データミスでしょうかね?確認してみます。」

「ああ、いいわ。そんなことしなくても。ちょっと待って下さる?」

ミミーは手にした端末を使い、先程会談したカール・サクセスのデスクにダイレクトでコールした。呼び出しに応答したのは秘書だった。

「はい、こちら第五プラント生産管理部でございます。」

「DNAのミミー・サルペン中尉だ。サクセス氏を頼む。」

「ミミー・サルペン中尉、ですか?あの…。」

警備員に聞こえるようにわざと尊大な態度を取ってみせる。あたかもカール・サクセスよりも地位が上であるかのような印象を持たせようとしている。モニターに映る顔が変わり、サクセスが映る。

「サルペン中尉ですか。どうなさいました?」

工場への立ち入りを許可して頂きたい。」

「それは、今、ということですか?」

「そうだ。」

「理由は?」

「三日後の監査では予め我々の立ち入りの前に何らかの証拠隠滅行為をする可能性がある。それはあなたが知らなくても、工場の従業員が独断で行うことも考えられる。よって今すぐ証拠隠滅行為の中止を勧告するために立ち入る。これはいわば本捜査の前の事前調査と思っていただきたい。」

「…。拒否は認めないのでしょう?」

「話が分かるな、あなたは。その通りだ。我々はあくまでフレッシュ・リフォーから命令を受けている。その指揮の全権はこの私に任されている。私の言葉は第八プラントの言葉ということだ。」

こんな事はあり得ない。しかし、フレッシュ・リフォーからの命令である事は先に渡した文書でわかっているはずだ。その内容はそこまで記載されていないが、全権を任されている、という言葉に重みを感じたサクセスは入場を許可することにした。どうせ工場を捜したところで何も出はしないのだから。

「わかりました。入場を許可します。あなたのパーソナルコードを登録します。警備員の指示に従って手続をして下さい。」

「迅速かつ的確な判断に感謝します、ミスターサクセス。」

ミミーは携帯端末の通信を切ると、そばにいる警備員に向かって言った。

「今のやりとりを聞いていたでしょ?いいわよね?」

いきなりプラントの最高幹部クラスの名前が出てきたので少し戸惑い気味の警備員だったが、ミミーが早くしないかというように顎で指示をすると、いそいそと入場許可の手続を始めた。ミミーはそこでついでに車を借りて、中を回ることにした。出てきた車は古い型のオープンカーであったが、手入れはきちんとしてあるようだ。警備員の愛車だろうか。ミミーはハンドルを握ると、アクセルを吹かして軽快に車を走らせた。吹き抜ける風が彼女の長い髪をなびかせた。その軽やかなステップは彼女の気持ちを表現しているようだった。

不意に扉が開き、モーリスが入ってきたのでマルファスは少し驚いた。ここにいるはずのない人間だからだ。汚く散らかった部屋の様子に顔をしかめて、下に落ちているものを踏まないように気を付けながら奥のマルファスに近づいた。

「一週間かそこらで良くここまで散らかせるわね?ある意味才能かも知れない。」

あきれたようにため息と同時に言葉を吐く彼女にマルファスはそれを気にもしない様子で彼女がここにいる理由を尋ねた。

「あれえ、今日はプラントにいったんじゃなかったの?」

「それはもう終わったわ。」

「やけに早いね。」

「そうでもないわ。時計を見てみたら?」

モーリスに指摘されて、マルファスは今日初めて時計をみた。とっくに日は落ちて遅い夕食の時間である。そういえば、彼女の腹の虫も騒ぎ始めている。昼食は確か栄養補給ゼリーだった。あれは仕事をしながらエネルギーを補充できるので愛用しているが、決しておいしいと思ったことはない。夕食こそはまともなものを食べようと頑張った結果、どうやらのめり込みすぎてその時間を逃してしまったらしい。

「あ、もうこんな時間なの?うわー。参ったな。」

時計を見てまた驚いている彼女にモーリスは部屋の端にあるテーブルからコーヒーを二人分ついで持ってくると、それを彼女に手渡した。

「遅くまでご苦労様。」

「それはあなたも同じでしょ。うちの隊長さんは?ちょっと聞きたいことがあるんだけど…。」

「あなたの欲しがっているプラント配置図とVR配備計画表なら持ってきたわ。帰りの飛行機の中で原案を作ってみたの。」

マルファスは腰にコーヒーを受け取った方と反対の手を天井に向けて肩をすくめた。相変わらず仕事が早い。それが必ずしも同僚に受けがいいとは限らない。明日に持ち越せばよい、という言い訳ができないからだ。

「そうよね。あなたが他人の部屋に来るときは決まって仕事の話だもの。」

やれやれ、といった面もちでマルファスは仕事用デスクの椅子に腰掛ける。机の上に端末以外の資料が溢れている。山のような量のデータ保存用のディスクを手で適当にどけながら、一口熱いコーヒーを含んで作った小さなスペースにマグカップを置いた。モーリスはそこの隣にあるやや小振りな椅子に目を付けると、上に置いてある山積みの電子ボードをそっくりそのまま掴んで、すぐ脇のソファーの手すりにのせた。その椅子に腰掛けてモーリスはさっそく話し始めた。

「具体的にはどの辺にVRを配置するの?」

マルファスの質問に、モーリスは電子ボードに表示されている図面を拡大してそれを部屋の立体映像装置に送信した。部屋の中央にプラントの工場部分の立体地図が浮かび上がる。

「とりあえず、ライデンが収容されている格納庫を中心にその持ち出しを見張るのが順当ではないかしら。」

「そうね。ライデンを見張っていれば、どこの誰が持ち出ししたり強奪しようとしたりしても防げるものね。」

立体映像の赤く光る格納庫を見ながら、マルファスはもう一口熱いコーヒーをすすった。

「その他にこの周りを囲むようにVRを配置すれば死角もなくなるし、問題ないんじゃないかしら。ほら、一応外部からの襲撃も考えられるから。」

「そういうと思った。そこは新型のグリスボックに任せることにしましょう。グリスボックなら遠距離から接近してくる敵をライデンに近づける前に撃破できるし、それにルース少尉が張り切っているだろうから。」

「あいつも何だかんだといいながら、パイロットなんだよね。新人歓迎会の直前までシュミレーションやってたよ。」

「悔しかったんでしょ。部下を守れなかったんだから。それもVRの基本性能が大きく響いていたし・・・。そりゃあ、今度こそと思うわよ。」

「感謝しているよ、あんたには。補給といってもまた旧式じゃ、数合わせにもならないからね。」

マルファスは素直に感謝の意を表した。その態度にモーリスも普段の張り詰めた表情を少し和らげた。マルファスの笑顔にはそういう不思議な効果がある。

「私だって嫌よ、仲間が死んでいくのを見るのは。視聴率さえ取れれば構わないという上層部は現場を見ていないから、掛け合わなければまた旧式をまわされるところだったのよ。でも、まあ、私にできることといえば、新型のVRをまわしてもらうことくらいだから。」

「珍しいじゃない、愚痴なんて。少し疲れているんじゃない?」

「あなたの隊長さんのおかげでね。」

そういわれて、マルファスはふと気が付いた。

「そういえば、これって、あなたの仕事だっけ?」

とぼけた顔でいわれたモーリスは思わず脱力した。最近、自分はすっかりマネージャーだと周りに勘違いされている。

「サルペン中尉がやらないから、私がまとめておいたの。仕方ないでしょ、あの娘には無理よ。」

「ねえ、最近甘やかしすぎじゃないの?」

厳しいマルファスの指摘にモーリスは姿勢を変えずに視線だけを横へ向けて彼女の追求をごまかそうとした。確かに最近は赴任してきたときよりもミミーに甘い気がする。初めは強く言っていたモーリスも、時間が進むにつれてあきらめにも似た感情を持っている。ミミーにやらせてそれをチェックするよりも、彼女がやってしまった方が断然早いのだ。それが自分の仕事を増やし、また彼女を甘やかす結果になっている。上層部はモーリスが仕事をする方が正確で間違いもないので現状に対して何もいってこない。それならいっそ配属をマネージャーに変えてくれればいいのに。モーリスは三ヶ月も前から出している人事異動の要請が未だに返事が来ないことを思い出した。

「反省しているわ。そうね、これからはサルペン中尉にやってもらいましょう。レビュー中尉からきつく言われたからって彼女に伝えるわ。」

マルファスは首を大げさに横に振った。

「ちょっと待ってよ。そんなことしたら『余計なこと言うな』って言われちゃうじゃない?」

モーリスは少し意地悪そうに机の端に立て肘をつくと、少し倦怠感を覚える上半身をそこにあずけた。

「いつも私ばかりが憎まれ役なのは嫌よ。無論、それが私の仕事なのは理解しているけれど…。あなた、彼女の親友でしょ?あなたからも強く言ってちょうだい。今日だって…。」

「帰ってきていないの?」

「今頃、ずらりと並んだVRを前に涎を垂らしているんじゃなくって?」

「まさか…。」

「そう、午後は『工場見学』。」

マルファスは呆れて右腕を頭の後ろに持っていった。嫌な予感が的中した。背もたれに身体を乗せて後ろに大きくのけ反る。

「だめだ、こりゃ。」

恐らく今日は帰ってこないだろう。モーリスの言った場面を想像してマルファスは少しだけ羨ましいと思いながらため息を吐いた。

 

既に日は落ち、就業時間は過ぎていた。明かりのない彼の仕事部屋で、カール・サクセスは自分のデスクで端末を通じて通信をしていた。暗い空間にモニターの明かりと、その明かりを正面からうけるサクセスの顔がぼんやりと浮かび上がっているかのようだった。どうやら、何者かとオンラインで通信をしているようだ。しかし、相手側の顔はモニターには映っていない。設定をオフにしているのだろう。それはすなわち、プライベートの通信でなんらかの事情があることを示していた。電脳暦における慣習として、契約を締結するような重要な事柄に関しては、必ずオンラインでお互いの本人の顔をモニターに映した状態で話をするのだ。かつて、高度に通信技術が発達した時に、相手の存在を確認せずに契約行為を行えるようになった。それはより規模の小さい契約などにおいて利便性を発揮したが、重要な契約に本人以外の人間が関与するなどの問題も発生した。その後、経済界では重要な契約は必ず、本人をモニターの前に立たせて行うことが慣習になったのだ。サクセスほどの地位にあるものがオフモニターで話をするのは全くの個人のことか、もしくはやましいことがあるからだ。

「予定通りにことを進めてくれ。」

「いいのか?DNAが動いているのに?」

カールの言葉に以外であるという反応をする。声でしかわからないが、どうやら男性のようだ。年齢は中年か、それより少し若そうだ。

「こんなことは想定済みだ。防衛部隊がいないのならVRなどに頼みはしない。通常兵器で充分だ。あくまでこれは事故として成立しなければ意味がない。穴だらけの警備網に踏み込まれたとあっては私の責任が問われる。」

「しかし、あの連中はオススメしないな。なんせ、業界きっての暴れん坊集団だからな。」

「だからいいんだ。私とのつながりがばれにくい。連中の独断、ということが今回の仕事の報酬にも反映しているのだから。」

しばらく考えているような沈黙が流れたが、やがて通信の相手は意を決したように返事を腹のそこから押し出した。

「わかった。カール。連中を呼ぼう。ただし、例の権利は頂くよ?」

「了解だ、ボブ。映像はしっかりと中継する。君の手柄にしてくれ。」

カールはそういって通信を切った。デスクから立ち上がり、窓の外を眺めた。ガラスに映る彼の顔は野望を抱く男に特徴的な微笑が張り付いていた。

 

 静けさはかつて日本という国家が文化の一表現として取り入れた。その文化の結晶が今ここで完成体として体現されていた。電脳暦には程遠い建築物は木造で、屋根は瓦であった。庭は様々な植物が植えられ、周囲からの視界を遮っている。それは閉鎖感を与えるというよりは、そこだけで宇宙が完結しているといったほうが語弊がない。中央には小さな池というべきものがある。その中には鯉が数匹、優雅に流れる水の中を滑るように泳いでいる。恐らく水源は地下からくみ上げているものだろう。透明度は極限まで高められている。静寂の中、『獅子おどし』の音が宇宙に響き渡る。不思議なのはその音は決して静寂を壊していないことにある。かつて日本の文化が完成させた静寂の宇宙の中に音を同化させている。建物に目を移すと、障子の向こうに人影が見える。

「結構なお手前で・・・。」

女の声が聞こえた。良く見ると他にも女性が三人いる。全員日本の着物を身に着けている。その女性の中にあって一際身体の大きい男性が正座している。身長は軽く二メートルを超えるであろう巨体は、その同じく大きな手で起用に茶道具を扱っている。その腕前は他の女性たちのそれとは比べ物にならないほど滑らかで、優雅そのものだった。女性たちの表情を見てみれば、出来上がった茶の味も違うようだ。どうやら茶道教室の師範らしい。女性たちはおそらく教室の生徒だろう。生徒の一人が茶道具を扱い始めた。その様子を男は静かに見守っていた。不意にそこへ静寂を破る存在が現れた。一人のサングラスをかけたラフなシャツを着たやさぐれ男が乱暴な足取りで廊下を歩いていく。そして障子を勢い良く開くと、大声を上げた。

「ミラン兄貴!やっと連中から連絡がきたぜ!作戦は三日後だそうだ。」

男はそのやさぐれ男を一睨みすると、黙って立ち上がった。

「うわああああ!!」

やさぐれ男は大男のパンチを受けて十メートルほど吹き飛び、池の中に落ちた。水しぶきが立ち上り、同時に女性たちが悲鳴をあげる。

「あれほど言ったでしょ。ここへくる時は必ず正装しなさいって!それに大きな音を立ててはダメ!」

水の中から顔を出して、やさぐれ男は大男の女言葉に脅えながら情けない声で謝った。

「す、すまねえ、兄貴。緊急だったんだ。ここからだと三日後はぎりぎりだからよ・・・。」

「わかっているわよ。そんなことより準備を始めたの?」

「い、いや、まだだ。兄貴に知らせるのが先だと思って・・・。」

「そう。だったらとっとと準備にかからんかい、このボケがぁ!!!!」

凄まじい剣幕の怒声にやさぐれ男は池の中から飛び出して、走り出した。

「やっと返事がきたのね。この数日気をもんだわ。あ、そうだ、あいつらにも連絡しなくっちゃ。悪いけど、今日の教室はお終い。次回はお茶を入れる時の心構えと裏千家の奥義についてやりますから、予習しておきなさい。では、解散。」

ぽんと手を叩くと、大男はおよそ似合わない仕草で着流しの裾を気にしながらいそいそと廊下を早足に歩いていった。そこには再び訪れた静寂と、呆気に取られた女性たちだけが取り残された。