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Episode24 「

カインは声をかけられて振り向いた。そして、目の前に立つ女性の姿に瞬時に魅入られた。美しい。その姿は彼が知る女性の中で二番目に美しかった。黒を基調とするドレスは胸元が大きく切り込みを入れられていて、彼女の豊かな胸を強調していた。胸元は最高級であろう、天然のパールのネックレスで飾られ、双方の美しさが互いを際立たせていた。スカート部分は大胆なスリッドが入っていて、そこから白い素肌が見え隠れするのが何とも悩ましい色気を出している。切れ長の目元をアイラインで和らげ、優しいイメージを与える。そして唇は赤く、光に照らされて上品に光沢を持っていた。自己紹介のときのそれとは正反対の人格のようだ。普段は軍服に身を包む女性士官がドレスに着替えて化粧をすると、こんなにも印象が異なるものかと、カインは改めて女性の魅力と怖さを知った気がした。彼の知る女性はすくなくとも化粧はしなかったからだ。

「遅れてすまない、カイン。慣れない化粧に手間取ってしまった。」

ジュリアは首を少し傾げて謝罪の意を表した。しかし、ジュリアの美しさは寒い夜に外で三十分も待ったことなど全く無効化してしまうほど、強烈な印象をカインに与えた。それが成功したことにジュリアは素直に喜んだ。

「あ、あの、とても、素敵です・・・。ジュリアさん。」

「ありがとう。君もだ、カイン。さあ、いこうか?」

滅多に着ないタキシードを誉められ、カインは緊張した表情でうつむいた。その仕草に微笑を浮かべ、ジュリアは彼の腕に自分の腕を回した。車を既に手配しているようで、彼女が手をかざすと、ターミナルのロータリーから一台の高級車が近づいてきた。その車は、とても一般の市民が乗れるようなものではなく、どうやらこれから向かうレストランの専属らしい。カインはさっさと一人で車に乗り込もうとするジュリアをあわてて追い越すとドライバーよりも先にドアを手動で開けて一礼した。

「ありがとう。」

役目を取られて少し戸惑ったドライバーだったが、自分の任務に忠実に運転席に移動した。車は走り出し、パブリックポートの街の中心地に向かっていくメインストリートにのった。そこから加速してしばらく飛ばすと、やがて初めての十字路が見えてきた。ドライバーはハンドルを切って左の道に入ると、そこから更に車を加速させた。そこはいわゆる高級レストランがひしめく通りだった。派手なネオンはなく、落ち着いた淡く柔らかい光に通り全体が照らされている。微妙な薄暗さがさらに上品さを引き立てる。車は減速し、この通りの雰囲気を楽しむがごとく進んだ。左右の歩道には高級な毛皮をまとったドレスの女性とタキシードの男性が腕を組んで歩いている。年齢は少し高めで、カインは恐らくこの通りでは最年少クラスに属するだろう。そんなカップルが多い中、車はある店の前で停止した。運転手は運転席を降りて、ジュリアの乗るほうのドアを開けた。自動ドアなどというものはこの車には搭載されていない。そんなことをするようなレベルの客は乗せないということだ。ジュリアが降りたのを見て、カインもそれに続いた。車内からでは全体を見ることができなかったそのレストランは、まさに旧世紀の建物をそのまま持ってきたもののようだ。欧州の気品が漂う二階建てのそれはキリスト教文化の結晶が具現化された時代のものだ。最低でも千年以上前の代物だと思われる。最新の技術は過去の建築物の構造や装飾などを模倣することはできるが、その建物が歩んできた歴史、その身に刻み込んできた時間の跡は決して真似することができない。相当のこだわりを持った店主であることがわかる。恐らく、第一次月面移民計画の時、財産を全て月の大地に運んだのあろう。

「さあ、中に入ろう。」

建物の凄さにひたすら感心するしかないカインにジュリアが入り口付近で声をかけた。急ごうと思ったが、走るのは気が引けたので、早足で店の入り口に近づいた。そこではジュリアが受付で予約の確認をしていた。会員制のレストランでは会員以外の人間は入れない。少なくとも一人は会員でなくてはならない。カインは、ジュリアがこんな月の高級レストランの会員であることを意外に思った。

「ジュリア・ディアス様、お待ち申し上げておりました。さあ、どうぞこちらへ。お席のほうへご案内します。」

ジュリアはウェイターの言葉に頷くと、カインを振り返った。カインはそれに気がつき、歩き出すジュリアについていった。なんだか自分だけが場違いな気がしてくる。正直、こんな高級レストランには入った事がない。ましてや、ここはエアポート市街の最高級レベルの店だ。カインはテーブルマナーを頭の中で思い出しながら、彼女の誘いの内容を確認しないで受けてしまったことを後悔した。マナーはハイスクールの実習で習ったのが最後だ。はたしてうまくやれるものか・・・。とりあえず、フィンガーボールの水を飲まないことと、ナイフは右腕、フォークは左腕、そこまでは間違えないようにしよう。カインは優雅にウェイターの引いた椅子に腰掛けるジュリアの視線を外しながらつぶやいた。

 特別嫌悪感を覚えるわけではないが、やはり苦手なものはある。それはあらゆる環境に適切に対応することを訓練されたインデペンデント・チャイルドのライカであっても、だ。ここは「ラミア」という酒場、そこでは既に園もたけなわに盛大な歓迎会が行われていた。歓迎会の中心人物は無論、今回配属されてきた新しいパイロット達である。しかし、そこには本来の対象人数の半分しかいない。ジュリアとカインは別のところに二人でデートというわけだ。ライカは二人を恨めしく思った。彼らがカップルとして夕食に出かけたことではない。その結果、自分とリンの二人だけが他のメンバーに囲まれる形になってしまったからだ。ライカの目の前にはグラスの口いっぱいにまで注がれたオレンジジュースがほとんど手付かずのまま、寂しそうにぽつんとたたずんでいた。肩を小さくすぼめてそのグラスをじっと見つめるライカの側に、大きな影が映った。その影が店内の明るい照明を一時的に遮断したことでそれに気がついたライカは視線を上へと向けた。デイビットだ。顔が少し赤みを帯びているが、視線はライカを見下ろして少し微笑みかける。意識ははっきりとしているようだ。そのまま彼女の横に座ると、手にしたグラスの中身を飲み干した。そうとうきついアルコール度のはずだが、デイビットはそれを飲み終わり、小さく高い声を出した。

「くうー、うまい!!どうだ、楽しんでいるか・・・、ってあんまりって顔してるな。」

ライカは姿勢を崩さずに首だけを前方に出すようにして返事をした。

「こういうの、嫌いか?」

「嫌いではありませんが、好きにはなれそうにありません。」

「そうか。」

デイビットは店内の中央で歌っているリンを見ながら、近くにあるビールをグラスに注いだ。リンはすっかり出来上がっているようで、顔を真赤に染めながらグラスを片手にマイクを握りしめ、大声で歌っている。それを煽るように周囲の人間も馬鹿騒ぎをしている。

「まあ、人には好き嫌いがあるからな。」

そういってビールを一口含み、口の周りに白い髭を書いた。

「ごめんなさい。せっかく誘ってもらったのに・・・。」

「いいさ。こっちも気の使い方をミスった。」

デイビットの声は先ほどまで一緒になって騒いでいた時の声とは違い、優しく柔らかい感触だった。ライカはその声に安心を覚えた。何となく疎外感を感じていたこの空間内で彼は自分のことを気にかけてくれている、と思った。それが素直に嬉しかった。デイビットはライカの表情が少し和らいだのを横目で確認し、口を開いた。

「あんたみたいな若いのがどうして実戦へ?パシフィック・オーシャンならもっと年齢が上の実戦未経験兵士だっているはずだろう?」

「実験のためだそうです。」

「実験?」

「はい。普通は二十歳になるまでは会社の訓練センターで訓練をして、そこで合格したものを外部に派遣するんですけれど、VRの登場で急にVRパイロットの需要が急拡大したんです。会社の方ものんびり二十歳まで育てていたらビジネスチャンスを逃してしまうと考えて、若年でも戦場で使用できるかどうかをテストするんだそうです。そのテストに私が選ばれた、ということです。」

「成績優秀のあんたが、ということか。」

「シュミレーションの成績が必ずしも実戦と同じになるか、ということはいえないですが、一番確率が高いということで。」

「なるほどな。あんたの訓練センターでの成績、見せてもらったよ。いや、正直大したものだ。感心したよ。でも、実戦はシュミレーションとは違う。予想外のことが起こるのが実戦だ。それに・・・。」

「?」

「あんたはもっとコミュニケーションを勉強するべきだな。」

「どういうことですか?私、他の人と比べて連携動作が劣っていますか?」

少しむっとしたような表情でデイビットを睨むライカをなだめるように両手を前に出した。

「いや、そうじゃない。あんたの操縦の技術や連携のことを言っているんじゃない。実戦で発揮される連携のうまさは何も訓練や場数だけで決まるわけじゃないってことさ。」

「訓練と経験以外に何かあるんですか?」

「信頼だよ。」

「厳しい訓練と豊富な経験が互いの信頼を生む、と私は教わりました。」

「確かにそれは間違いじゃない。しかし、それ以外の要素もあるということさ。」

首を傾げるライカにデイビットは少し姿勢を直して、彼女の正面を向いた。

「人間は機械じゃない。データで管理しきれるものじゃない。土壇場でお互いの命を無条件で助けようとする気持ちは訓練だけじゃなくて、普段の生活やこういう場所でのコミュニケーションで生まれるものなんだ。俺たちは傭兵だ。一昔前の戦争みたいに泥沼になるまで戦う前に降参してしまうことだってできる。さっきまで仲間だった奴らに平気で銃を撃てる神経を持っていなくちゃならない。だからこそ、ビジネスじゃない、互いの人間関係で生まれた絆を大切にするんだ。」

「自分が仲間に簡単に裏切られないために?」

「自分が裏切らないため、さ。」

デイビットは大きくため息をつくと、空になったグラスに再び酒をついだ。そして、口の渇きを酒で潤した。彼女の方を向いていた身体を背もたれに寄りかからせ、そこでもう一口、グラスの中身を含んだ。

「まだわからねえか。まあ、そのうちわかってくるさ。傭兵なんてなるもんじゃないってな。」

ライカはデイビットの言葉に、自分の中で引っかかるものを感じた。それが何なのかわからなかったが、嫌な感覚はしなかった。目の前にあるオレンジジュースは氷がすっかり溶けてしまい、待ちくたびれている。そのグラスを両手で包むように持ち上げ、ここにきて初めての一口を喉に流し込んだ。むせ返るような熱気の中、その冷たさが心地良かった。

誰かが呼んでいる。意識がはっきりしないのでその声の主が誰なのかはわからない。身体が大きく動かされた。うつぶせに倒れているのを起こされたようだ。ちいさくうめくのが今は精一杯だった。身体の感覚が少しずつ戻ってくる。瞼を開くとそこにぼんやりと人の顔がシルエットのように浮かぶ。思わず出ない声を振り絞って男の名を呼んだ。

「ジョ…バン…?」

「しっかりしろ!大丈夫か?」

その声は若い男のそれだった。しかし、自分の知っているそれとは異なる。意識が徐々に戻ってくる。さざ波の音とともに目の中に飛び込んできたのは美しい青年だった。

「お、意識が戻ったみたいだな。」

別の男の声がする。太くて低い。

「もう大丈夫ですね。」

ややハスキーな青年のそれだ。

「起きられるか?」

目前の青年の声にランは二、三度瞬きをした後、上半身を勢い良く起こした。次の瞬間、背中を激痛が襲った。

「痛っ!!」

「身体をコックピット内で打ち付けたようだな。少し安静にしているんだ。おい、ジョナサン。水を持ってきてくれ。」

「はい。」

指示を受けた青年は勢い良く走り去っていった。その背中をぼんやりと見つめながら、ランはあたりがまぶしいくらいの光に溢れているのに気が付いた。忘れて久しい太陽の光だ。

「ここは…。」

ランは痛みをこらえながらまわりを見渡した。そこは彼女が意識を失う前の光景と全く異なっていた。一面を覆うのは広大な海で、今彼女がいる場所はその一部がせり出しているところだ。遺跡らしき半壊した背の低い建造物が一帯に広がっている。区画の整理された四辺形の堀の中に海水が入り込み、空から照りつける太陽の光を反射してまぶしい世界を創り出している。彼女から見てちょうど正面に一際大きな四角い建物が遠くに見える。それは柱が四本立っていて、壁はなく、天井だけがついているものだった。その上に誰かの影が映ったか、と思われた。一度瞬きをしてもう一度見た。何もない。目の錯覚だろうか。

「どうした?」

心配そうに美青年が彼女の顔を覗き込む。少し照れてランは首を横に振って大丈夫であることをアピールした。しばらく頭がぼやけて思考が停止していたランであったが、その意識が痛覚によって刺激され、ようやく自分の置かれている状況を理解し始めた。

「あ、そうか。私、大気圏に引き込まれて…。」

「よくも、まあ、無事だったもんだな。普通なら、VRで大気圏に落ちたら燃え尽きて骨も残らないぜ?」

声の方に首を向けると、パイロットスーツを着た男が立っている。さっきの低い声の主だろう。

「アベルさん、水持ってきました。」

確か、ジョナサンっていったっけ。彼の差し出す水筒を受け取ると、中に入っている水を一気に飲み干した。

「ぷはっ!」

「大丈夫か。見たところ骨に異常はないようだが。」

アベルと呼ばれた美青年が側で声をかけてくれる。ランは三人の男を見渡して、抱き起こしてくれたのがアベルであったことを幸運に思った。それにしても、まさか生き残ることが出来るとは正直、思ってもみなかった。あのテムジンの狙撃がジョバンのサイファーの救援を妨害した時点で完全にだめだと思ったが、どうやらサイファーの大気圏突入用のウィングが残っていて、それが機体の燃え尽きるのを防いでくれたようだ。何はともあれ、命を一つ拾ったようだ。出撃前のお祈りが効いたのかもしれない。

「なんとか、ね。ところでここは?」

「TSCドランメンの領土、『ルーインズ』だ。君はどうやら海に落ちた後、ここに流れ着いたようだな。」

記憶を辿ってみると、確かに波打ち際に辿り着いたサイファーのコックピットから必死で這い出してきたところまでは思い出せる。そこで気を失ったのだろう。

「俺達がたまたま通りかかったから良かったが、あのままだったら死んでいたぜ、姉ちゃん。」

はっと気がついてランは両腕で自分の身体をかばうように包むと、ヴァイスに向かって吠えた。

「ちょっと!気を失っている間に変なことしなかったでしょうね!!」

ランの罵声にヴァイスは思わず転びそうになった。

「してねえよ!!助けてもらってなんて事いいやがる!お前みたいな胸のないお子さまには興味ないの!」

ヴァイスの言葉に会話の主旨を外れてランは自分の気にしていることを言われて憤慨した。

「な、ないって、ちょっとぐらいはあるわよ!!それにこう見えても二十歳よ!レディーに対して失礼ね!」

二人のやり取りを側で聞いていたアベルは少し顔を赤らめながら小さく咳払いをした。

「そんなことはどうでもいい。君の所属を教えてくれないか。」

「あ、ごめんなさい…。」

ランは突然しおらしくうつむいて見せた。アベルの言葉に急激に態度を豹変させるランを見て、ヴァイスは大きくため息をついた。ジョナサンもあまりに露骨な態度に嫌な顔をする。三人で行動をしていると、いつもこうだからだ。

「私はラン・トヨサキ軍曹。所属は一応、RNA宇宙軍第三十六遊撃隊ってことになってるけど、傭兵だから正式なものじゃないの。」

「俺達と同じ、か。ということはRNAの本部連絡先は知らないということだな…。」

アベルは肩を落とした。フロントベイ基地での危機から逃れ、なんとか安全な領域まで退避して来られたと思っていた矢先に、この領域が敵部隊に占拠されたことを知った。敵の目を逃れつつ、この一帯を彷徨っていた彼らは、彼女を発見したときに正に天の助けとばかりに喜んだ。通常、傭兵は雇い主との繋がりを敵に察知されないために、作戦や仕事の情報を交換した後は一切の連絡を絶つのが一般的だ。作戦の成功は雇い主側が独自の情報ルートで把握し、その成功を確認した後、傭兵側が指定した金融機関の口座に報酬を振り込む。緊急時には、雇い主側の用意した特殊回線で交信をすることになっている。しかし、アベル達は彼らの用意した輸送機を破壊されてしまったが故に、本部に連絡を取ることが出来ないのだ。もし、彼女が正規兵であれば緊急回線のコードを知っているかも知れないと思ったからだ。だが、ランの言葉を聞いた時、その望みが無くなったことを示していた。

「参ったな…。完全に孤立している状態で手がかりもないとなると…。」

アベルは困ったように眉を眉間に強く寄せた。最近、めっきり弱音を吐くことが多くなった。彼が弱くなったというよりも、圧倒的に追いつめられた状況ばかりに遭遇するからだろう。

「アファームドの端末でやるしかないですね…。」

「ああ、だが、リスクも高い。」

今この一帯を占拠しているのはDNAである。もし無線を使ってミカエルに連絡を取ろうとする場合、一番近い中継衛星を経由してネットワークにアクセスすることになる。そうすれば、自分たちの居場所を敵に教えることになる。

「RNAの連中がふがいないから、ここをDNAの奴らに占領されちまうんだよ。」

本来なら、この領域はRNAの支配下であるはずである。しかし、最近になってこの一帯で事件が起こり、配備されていたVRが全滅するというハプニングが発生した。その情報を掴んだDNAはすぐさまこの地域に大軍を侵攻させ、一気に占領してしまったのだ。その事件とは一機の開発中のVRが暴走した結果だという。「ふがいない」というヴァイスの言葉は一機のVRに五十を越える大部隊が壊滅したしたという事実を指している。

「あの…。状況がいまいちわからないんですけど…?」

きょとんとした表情で深刻な顔をしている三人を見つめるランの態度に、彼らは更なる脱力感を覚え、地の底に沈みそうな深い深いため息をついた。