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Episode25 「復活のジョパン

 ジョバンは今、退屈の極みにいた。病院の部屋は広く、ゆったりとした空間を作り出していた。四方の壁だけでなく、天井や床までもが巨大なディスプレイになっていて、そこには三次元映像で表現した森林の風景が映し出されていた。木々の葉の間からこぼれる柔らかく暖かい人工の日光がベッドの布団に当たり、太陽の香りを病室内に漂わせる。静まり返った空間に時折小鳥のさえずりが聞こえる。退屈はやがてまどろみへとその姿を変えて、ジョバンを支配した。一刻も早く戦場に戻りたいと焦るジョバンの闘争心は否応なく侵食されてゆく。ここは彼の主治医ハワード・マイストルの所属する大病院「トキワ総合病院」の個室、最高級のスウィートルーム。ジョバンはここに三日前から軟禁されていた。

 闘技場での負傷は大した事はなかった。現在の医療技術を持ってすれば、回復には一週間もかからないだろう。しかし、主治医のハワードは細胞分裂促進剤の使用許可を出さなかった。ハワード曰く、負傷した肉体を回復させるのは、本来人間が持ち合わせている自然治癒能力に委ねるのが最も望ましい。薬物を使用しての治療は細胞分裂の際に癌細胞が発生する確率を高めてしまう。無論、今日の技術であれば癌細胞など簡単に治療することは可能だが、それでは二度手間になってしまい、少なからず身体に負担をかけることになる。

「なんだかんだと理由をつけてはいますが、要は傷が癒えるまで大人しくしていなさい、ということですね?」

「その通りだ。少なくとも一週間はここで安静にしていてもらう。お前は傷が治るとすぐにVRに乗りたがるからな。いいか、お前が納得するまで俺は何度でも言うぞ。精神医学の観点から言えば、MSBS及びVクリスタルとの接触は全くもって好ましくない。できれば一般設定の状態で戦闘行為を行うことが望ましい。しかし、だ。」

ジョバンはハワードの長くなりそうな説教を途中で遮った。

「わかっていますよ。そのことは耳にたこができるくらい聴きました。」

だが、ハワードは厳しい表情を崩さずに言葉を続けた。

「お前に嫌われようが、疎まれようが俺は構わん。だが、主治医として、また親友としてお前の身体を気遣うことには決して躊躇はしないし、そのためには苦言もはっきりという。ジョバン、MSBSの起動は一回の作戦が終わったら、最低一週間はインターバルを置くんだ。そうしないと、気が付かないところでVクリスタルの精神干渉を受けつづけて正気を保てなくなるぞ。いくらお前がバーチャロンポジティブが高いとはいっても同じ人間だ。必ず限度はある。今は精神的にもかなり参っているはずだ。お前には休息が必要だ。これは主治医としての命令、ドクターストップだ。契約通り、俺の言うことに従ってもらうぞ。いいな。」

「わかりました・・・。」

肩をすくめてジョバンは頷いた。これはテコでも動きそうにない。そう思ったからだった。診察室でのやり取りをぼんやりと思い出しながら、壁に映る映像を見るとも見ないとも言えない程度に眺めていた。すると、ベッドの横、机の携帯端末の画面上にメールの到着を告げる明かりが点滅した。そのメールは友人や知人からくるものとは異なる重要度、機密度の高いものだった。この類のメールでジョバンのもとにくるものといったら一種類しかない。仕事の依頼だ。ベッドから身体を起こさずに右腕を伸ばして携帯端末を手に取ると、枕もとにあるサングラス型モニターを着用してメールをチェックする。メールの内容を読んでいる間、ジョバンはしばらくの間固まっていたが、読み終えた途端、携帯端末を持っていた拳を小刻みに震わせた。唇も強くかみ締めている。ジョバンは急にベッドから跳ね起きると、直ぐに寝間着を脱ぎ捨て、外出用のスーツに着替え出した。ネクタイもろくに閉めない状態のまま、ジョバンは慌しく病室を駆け出していった。

 月に来るのは久々だった。永らく地球での生活に慣れていたので、重力が弱いところに来ると、少し勝手が違う。筋力が強すぎて床を蹴った時に身体が浮いてしまったりする。しかし、そうも言っていられないのが現状だった。エアポートに到着するなり、迎えがやってきて否応なしに車に乗せられた。相変わらずうちらの大将は人使いが荒い。口の中に溜まったぼやきを察してか、運転手が声をかけて来た。

「カルロスさん。今回の仕事の内容はもうチェックしましたか?」

「ああ、ミランさんにはいつも振り回されっぱなしだよ。いくらなんでも連絡を受けてから仕事が三日後ってのは参るぜ?こっちだってコンサートの予定を土壇場でブッキングしたんだ。こんなことしてたら次から仕事もらえなくなっちまうぜ・・・。やれやれ。」

運転手はバックミラーでカルロスの顔を見ながら、にやけて言った。

「それ、面と向かって言えばいいじゃないですか、ミランの兄貴に。」

「馬鹿いうなよ。俺だってまだ死にたくないぜ?ミランさんに意見できたらとっくの昔にこの仕事辞めているよ。せっかく歌のほうが軌道に乗ってきたっていうのに、いつまでもVR乗りなんて危なっかしい仕事なんかやりたくないぜ?」

カルロスは車の後部座席の肘掛に肘をつき、手の上に顎をのせた。大きなため息をひとつ、車の窓ガラスに吐き掛けてガラスを曇らせる。確かにミランさんには世話になった。毎晩ストリートで喧嘩ばっかりしている俺をVRパイロットにしてくれて、傭兵の仕事で毎日の生活に不自由しない金をもたらしてくれたのは間違いなくミランさんだ。あの晩、ミランさんと肩がぶつかっていなかったら、こうして今ロックンロールで飯が食える生活なんて送っていなかったはずだ。それは感謝している。だが、それはOMGの時の話だ。あの戦争の後、DNAの大規模リストラに便乗して多額の退職金をもらった時点で、ミランさんとの付き合いも終わったはずだった。なのに、また今回呼び出されて戦争させようっていうんだからな。しかし、カルロスには彼からかかった召集を断るだけの勇気も資力も腕力も持ち合わせていなかった。ミラン・カヤーノという人物を敵に回したが最後、彼の持つ人的、物的力に人生を踏み潰されるのが落ちだ。そういう人物なのだ。味方として、大将としては本当に頼れる「親分」ではあるのだが。彼の息のかかった人物は至る所に存在する。それは彼が組織する傭兵ギルド「サンクチュアリ」だけではない。その下部組織として存在する暴力団、麻薬密売組織、武器商人。果てはあの国際戦争公司や第二プラント「トランスヴァール」にも影響力を持つと言われる。それぞれがこの地球圏に存在するあらゆる企業国家に地下でネットワークを形成している。カルロスが所属する企業国家「シング・マイ・ソング」にも彼の関係者がいる。カルロスがDNA退役後にロックをやりたいと言った時にも、その人物を通して音楽業界に半ば強引にねじ込んでもらったのだ。ミラン・カヤーノはそんなにも世界に影響力のある人物だとは思い知らされたのは、肩をぶつけた事に因縁をつけて喧嘩をふっかけたあの晩からだった。あの時から、カルロスは決して逃れられない人生の泥沼に足を突っ込んでしまっていたのだ。もしかしたら、あのままストリートでガキ大将をやっていたほうが幸せだったかも知れない。そう思う日が時々ある。

「今度の新型の手ごたえはどうですか?シュミレーター、もうやったんでしょう?」

運転手はカルロスが考え事をしている間、ずっとしゃべっていたらしい。聞いていなかったとは言いづらいので、話が区切られたところを見計らって返事をした。

「あ、ああ、まあな。結構いい感じだったよ。でも、俺としてはドルカスの方がいいな。確かに基本性能っていう点では新型、なんていったっけ?」

「ドルドレイ。」

「そう、ドルドレイの方が断然上なのはわかっているんだけど、武装がなー。ファランクスがないとどうもしっくりこないんだ。リングレーザーもいいけどさ。」

「あれ、聞いていないんですか?」

運転手はハンドルを右に切りながら意外そうに目を丸くしてフロントミラー越しにカルロスを見た。カルロスはその声に眉をひそめた。

「何のことだ?聞いていないって?」

「いや、だから、カルロスさんがきっとそう言うだろうって、ミランの兄貴が特注でファランクスをドルドレイに合わせて改修させたってことです。ご存じなかったんですか?」

その言葉を聞いて、カルロスは嬉しさ半分、落胆半分の、あきらめを少々の複雑な気分になった。その強い苦味の利いた味にカルロスは眉に加えて口をへの字に曲げた。

「やれやれ、専用の武装を用意させたのかよ・・・。これじゃ、言い訳できないな。やっぱり、やるしかないのか・・・。」

最悪の場合、実際に機体に登場した際に、機体との愛称の悪さを言い訳にして今回の仕事をぐずろうと考えていたのが、出来なくなった。さらに、運転手の話ではファランクスに加え、ドルカスハンマーも改修済みらしい。肘を突いていた姿勢は脱力感からその状態を保てなくなり、カルロスはしっかりと決めてある髪に気遣うこともなく車のシートに身体を投げ出した。やがて非情にも車は「サンクチュアリ」の本部建物へと近づいていった。

ジョバンは先ほどから言い様のない不安のようなものにさいなまれていた。特に何か心配事があるわけでもない。今度の仕事も気迫こそ満ちているが不安や恐れといった感情はない。腕の傷が若干痛むが、気になるほどでもない。しかし、いつもの格納庫を通り過ぎ、奥まった通路を歩きはじめたあたりから明らかに「それ」は強くなっていった。普通のパイロットならば気がつかない程度のものでも、ジョバンほどの戦士になればあたり一面に漂う「殺気」のようなものを感じ取ることができるようになる。ジョバンが落ち着かない様子であたりをきょろきょろと見渡し始めたのを受けて、案内役の男は含み笑いをしながら静かに言った。

「さすがだな、ジョバン・トクノイ。シャッターをしめた状態で『あれ』を感じ取ったか。」

その男の言葉にジョバンは鋭く反応した。神経質になっているというべきか。

「何か隠していますね、あなたは。私を陥れるつもりならば、止めておいたほうがいい。」

「何も隠してなんかないさ。すぐにわかる。ついて来い。」

そう言って男はさっさと歩き出す。ジョバンはしばらく油断なく男の動きを見ていたが、少なくとも今すぐ何らかの行動を起こすようには思えなかったので、後に続くことにした。

 ここは月面都市「アポロ」の郊外、第六プラント「サッチェル・マウス」の保有する倉庫街である。巨大なプラントはそれだけ多くの製品を作るので、それをある程度ストックしておく格納庫が必要であった。既にサッチェル・マウスは自らの敷地内に大規模な格納庫を多数所有していたが、VRの開発、製造が本格化し、プラントの業務の殆どを占めるようになるとそれだけでは到底足りなくなっていった。第二プラント「トランスヴァール」と並んで第四プラント「TSCドランメン」陣営の片翼を担う存在として、RNAへのVRの供給を行うようになってからは、全工場をフル稼働させても生産が追いつかない状況で一度に大量に格納庫に収納しても、次の月にはそれらが全て空になってしまう。そんな状況下で、この格納庫街もつい先日までは最新のVRで埋め尽くされていた。格納庫の規模は一つあたりVRを四機ほど格納できる。それが軽く二十以上ある。更にこの一帯は都市計画整備事業の中で取り残された地域であり、区画整理もままならず、建物が乱立し、それらを結ぶ細い通路は正に迷路のように入り組んでいた。ジョバン自身、この格納庫街にはいつも仕事で使用する愛機を整備したりするためにちょくちょく出入りをしていたが、いつも入り口付近の建物しか利用していなかったため、奥に入るのは初めてだった。

ひたすら迷路のように入り組んだ格納庫街を抜け、男は不意に立ち止まった。その場所は格納庫街の一番奥、手前の大きな格納庫で隠れて目立たないところだった。その格納庫は通常のそれとは異なり、過剰とも思えるほどの堅城さを持っていた。壁は一面黒塗りで、つなぎ目は別の金属で補強されている。あたかも何者かを封印しているかのようだった。入り口には大きな文字で「関係者以外立ち入り禁止」と書かれている。だが、ジョバンの目を引いたのはその文字の横に貼り付けられている御札だった。良く見ると入り口のドアだけではなく、格納庫の壁のいたるところに貼られている。膨大な数だ。旧世紀の中国にて発展した呪術に使用するものらしい。なぜ彼がこんなことを知っているかというと、数日前ランにこの手の話を延々と聞かされていたからだった。適当に頷いて話を流そうとするとランはすぐに怒り出した。そして聞きたくもない話をおよそ二時間もされたのだった。今にしてみれば、もっと彼女の話を聞いていれば良かった。自己嫌悪の念がジョバンを支配した。そしてふと、そんなことで自己嫌悪する自分を見つけて驚いた。こんなことは今まで一度もなかったことだ。ジョバンが一方でそんなことを考えつつ、格納庫の入り口に貼ってある御札の意味を掴みきれないでいると、男はジョバンに特殊なヘルメットを渡した。ヘルメットというのは正確ではない。髪飾りといったほうが正しい。ちょうど男の頭の直径ほどの大きさの髪飾りを男はすっぽりと頭にのせた。

「これは何です?」

すると男はにやりと口元を歪めて言った。

「これをつけていないと中に入った途端に発狂するぞ。それでも良ければつけなくても構わんがね。」

「発狂?バーチャロン現象のことですか?今時そんなことがあるのですか?それともよほど特別な何かがあるとでも?」

「自分の目で確かめるんだな。」

疑心暗鬼に駆られるジョバンだったが、こちらに何か危害を加えるような雰囲気はなかった。むしろ、自分の実力を試されているという感覚だ。

「一つ注意しておく。今から俺がこの扉を開けるが、精神を集中させろ。決して心に隙を作るなよ。でなければこいつも役に立たない。」

男の真剣な目にジョバンはそこに真実があると確信した。根拠はないがこの男は嘘を言っていない。そう感じた。そして彼の言うとおり、深呼吸をして呼吸を整えると、きっと前を見据えた。その眼差しをみて準備ができたと判断した男は勢い良く入り口の扉の電子ロックを解除した。

「うおおお!!?」

重い扉を開け、一歩格納庫の足を踏み入れた途端、凄まじいまでの精神干渉がジョバンを襲った。悪意に満ちた憎悪の念が、志半ばで散った命の無念が、ありとあらゆる負の感情がジョバンに纏わりついてきた。誰かに足を捕まれたような感じがして足元を見ると、床から人間の腕が出てきて、彼を底なし沼に引きずり込もうとしている。背後に気配を感じ振り向くと、そこには崩れ落ちかけた肉体を引きずりながらジョバンに向かって這い寄ってくる死体の群れが迫っていた。精神が一時的にVクリスタルに取り込まれそうになるときに発生する幻覚だ。個人によって異なるが、総じて視覚もしくは聴覚にこれらの幻覚は生じやすい。これか、先ほど男が言っていたことの意味は!ジョバンはかつて幾度となく体験したバーチャロン現象に今の状況を重ね合わせた。その干渉力こそ桁違いなものの、性質そのものはバーチャロン現象そのものだ。ジョバンは数少ないVR適性者の一人だった。こんなことで負けはしない。あの屈辱を晴らすまで、あのテムジンを撃破するまで、自分はこんなところでは終われない。ジョバンはただその一点に精神を集中した。やがて激しい精神干渉は薄れ、ようやく回りを見渡せるだけの余裕が出てきて始めて、これら一連の精神干渉の真実がわかった。そこには一機のサイファーが格納されていた。しかし、従来の型ではなく背部に大きな蝙蝠型の翼が取り付けられている。それにともない、変形機能は各所に設けられた追加装甲によって凍結されていた。精神が落ち着いてもなお、禍禍しい巨大な蝙蝠の翼から圧倒的なまでの「邪気」が放たれている。いわゆる霊感と呼ばれる能力がなくてもこの精神干渉はダイレクトに肉体への反応として感じられる。もし精神の弱い人間がこの機体に近づいたならば、瞬く間に精神崩壊を引き起こすだろう。

「ほう、初めてで、尚且つここまで精神を強く保てるとは。やはりアイザーマン博士のおっしゃった通りだ。」

アイザーマン博士?確かサイファーを開発したVR開発者で今は第六プラント「サッチェル・マウス」VR開発研究室の主任技術員だ。なぜその名が今ここででるのか。ジョバンはそこでようやく話の筋が見えた。

「なるほど。アイザーマン博士の次の試作機はこれですか。私にこの機体を乗りこなして見せろ、と。」

男はジョバンが素早く状況を理解したことによって説明の手間が省けたらしく、首をゆっくり縦に下ろした。

「この機体はXVR−52−W『サタン』だ。」

「サタン・・・。」

「既にある程度は感づいているだろうが、一応説明しておく。この機体はサイファーの次にアイザーマン博士が開発している機体のテストヘッドだ。機体というよりは、オプション装備といったほうが正確か。機体の背中に翼があるだろう。あれが開発中の『エビル・バインダー』だ。」

「エビル・バインダー・・・。」

「かつて初期VR開発期にMSBSの不備もあってか、パイロットの精神がVコンバータ内に取り込まれる事故が多発したことは知っているな。それらは大概、数分間の後に発狂状態となって自己崩壊した。いわゆる『バーチャロン現象』というものだ。だが、狂気や怨念といった負の感情はVコンバータ内ディスクに残留思念として蓄積されていった。アイザーマン博士はその使用不可能になった悪性Vクリスタルの再利用を試みたのだ。」

「そんなものにまで手を出さざるを得ないということは、Vクリスタル質の絶対的不足はよほど深刻のようですね。」

「フレッシュ・リフォーが一方的にVR開発の禁止を命じてからというもの、遺跡に関係するあらゆる物資と情報が不足していた。やむを得ない一面も確かにある。しかし、それら悪性Vクリスタルを粉々に粉砕し、新たに構造材として再加工されたエビル・バインダーは素晴らしい成果をもたらした。パイロットの憎悪の感情を増幅し、それを最新のMSBSで起動させた場合、VRの戦闘能力は大幅に向上した。」

語るにつれて言葉に熱を帯びる男を、ジョバンは冷ややかな目で見ていた。次の話の展開が完全に読めてしまったからだ。

「実験は成功だった。MBV−04テムジンをベースにMSBS.ver5を載せてエビル・バインダーを装備させた機体は機動力で約二倍、反応速度に至っては三倍以上の成果をあげた。だが・・・。」

「パイロットは精神崩壊を起こしてしまった、ということですね。最後まで聞かなくても想像に難くありません。こうして機体の近くにいるだけで強烈な精神干渉を起こすのが悪性Vクリスタルたる由縁です。ましてやMSBSとの併用など、並みのパイロットでは十秒前後が限界でしょう。」

ジョバンはこうして冷静を装って話している最中にも、幻覚症状にさらされ続けている。彼だからこそ初めてでもここまで耐えられるのだ。コックピット内ではとてもこの程度では済まないだろう。

「そう、その通りだ。現在はエビル・バインダーの分量を調節したり、一時的にその機能を凍結させるシステムを確立したりすることで、何とか実用レベルにまでこぎつけた。後は実戦によるデータ収拾とこのエビル・バインダーの性能の限界値測定が課題だ。そこでジョバン・トクノイ、お前に白羽の矢が立ったというわけだ。」

「単なる能力だけではないでしょう?タイミングが良すぎる。」

「あまり勘が鋭いのも、決して幸福ではないな。お察しの通りだ。勝ちたいのだろう、あのRKGのテムジンに。このサタンならばそれを可能にする。その為に最高の舞台も整えた。後はお前の腕次第だ。」

「わかりました。」

ジョバンは一度だけ深く頷いた。正直、気に入らない。パイロットとしての腕の差を機体性能で補おうというのだから。本来ならば、もう一度サイファーで勝負をしたい。だが、そうなれば結果は前回と同じになるだろう。ここは何としても勝たなくてはならない。マジシャンの名にかけて、同じ相手に二度負けることは許されない。それに、彼女の仇も討つという使命がある。ジョバンは呪われた黒き翼を纏う古き蛇を見上げて、勝利を誓った。

その誓いは祈りにも似た、純粋な殺意そのものだった。