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Episode28 「クリスタルの輝き

 月の裏側、第五プラント「デッドリー・ダッドリー」の保有する格納庫群にRKGが警備部隊として配備されてから三日が経過していた。表向きは出荷直前の商品「HBV−502−H8ライデン」を外部の組織から警護するという任務だ。しかし、実情はプラント内に潜む内通者の調査をカモフラージュする為のパフォーマンスに過ぎない。広大な敷地面積をカバーする為に部隊は五キロメートル四方の角にそれぞれ配置されていた。この格納庫自体が直径二十キロメートルにも達する巨大な天然のクレーターを加工して城壁を築いている為、通行口となっている南に主力機グリスボックを配備している。カインはちょうど格納庫の北側、ライジング・キャリバーから最も遠い位置にいた。

 カインは交代の知らせが待ち遠しかった。いくら武力衝突の可能性があるとしても、それはあくまで「可能性に過ぎない」し、いつ敵に遭遇するかも不確定であると思っていたからだ。そもそも、DNA及びフレッシュ・リフォーの目を盗んで自社の商品をRNAに流すということを、大々的に出来るはずがない。当然、内通者を通じてRNAと連絡を取りつつ帳簿を改ざんし、通常の輸送ルートに紛れ込ませて搬出するのが一般的だ。一般的というよりも、そうでなければ直ちにフレッシュ・リフォーの監査部に発見されて、責任者ともども背任罪で逮捕されるに決まっている。更に言えば、既にDNAによって正式採用が決定しているこの時期にわざわざ大株主の意向に逆らって危険な闇取引を行わなくとも、プラントの利益は最低限確保できるはずだ。リスクとリターンが釣り合わないこの取引はあり得ない。あり得るとしたら、RNAが部隊を送り込んでVRを強奪するというケースだが、この厳重な警備ではそれも不可能だろう。カインを含めたRKGの隊員達の見解は大方この意見に集約されていた。その中で一人反対意見を挙げた人物がいた。ジュリア・ディアス中尉だ。彼女は警備についていたカインに内線で通信してきた。

「今回の仕事に関して、諸君らは疑問に思わないか?なぜ、DNAの実験部隊である我らがわざわざ地球から月の裏側にまで呼びつけられたか、ということを。」

「それは、今回DNA本隊に余裕がなくて、たまたま空いている部隊が僕達だけだったのではないんですか?」

「その為に多額の輸送費をかけてホワイトスネイク隊を現地に派遣して、更にRKGを月にあげるだろうか。仮にそれが全て現状のDNA及びフレッシュ・リフォーの苦しさから出た結論だとして、なぜデッドリー・ダッドリーは全面的に協力をするといいながら警備のために自社のカンパニー・アーミーを出さないのだ?それに、この格納庫群を見たまえ。プラントの生死を分けるかも知れない大事な商品を格納しておくにはあまりに老朽化した設備だ。最もプラント本部から位置が遠いというのも気にかかる・・・。」

そこまで言い終えて、ジュリアは押し黙ってしまった。どうやら、頭の中で様々な状況を考察、シュミレーションしているようだ。カインはあまり自分の置かれている状況を考えても、任務の性質が変化するわけではないと思い、ジュリアからの通信には「何かわかったら教えてください」と答えて切った。警備だけにせよ、実戦があるにせよ、それを拒めるわけでも選択できるわけでもないからだ。それに、今朝のことがあるので、彼女の顔を長時間見ているのは精神的に厳しいものがある。その時、交代を知らせる通信がキースから入った。待ってましたとばかりにカインはテムジンをライジング・キャリバーへと走らせた。母艦に近づくにつれて、同時刻に警備についていた仲間も集合している。それと入れ替えで、今度は三機のグリスボックと二機のベルグドルが発進体勢に入っている。カインはテムジンのマニュピレーターを軽く掲げて交代の合図を送った。その合図に答え、グリスボックは小さい前腕を振り上げ、次々にカタパルトで射出されていった。

部隊は今、初日と異なり、三班に分けられて配備されていた。第一班はカインのテムジンとジュリアのテン・エイティAを中心に、グリスボック一機とテン・エイティが二機、第二班はグリスボック三機とベルグドルが二機、第三班がデイビット率いるグリスボック一機とライカとリンのテン・エイティA二機、そしてテン・エイティが一機という構成になっている。敵の接近を未然に察知して、追い払うという任務の目的からすれば、第二班に戦力が若干集中しているが、他の二班にはエースパイロットを配備することでバランスを取った形になる。カインは任務を終えてロッカールームでパイロットスーツを脱いだ。他の隊員もリラックスした様子でおしゃべりをしている。次の警備の順番まではまだ三時間以上あるし、仮に緊急事態が発生しても、第三班がすぐに出撃できる体勢になっているので、心配ない。何かあっても三十分以内に出撃できれば良いのだ。カインは二日酔いの頭をすっきりさせるのが第一だと考え、まっさきに自室に向かった。一時間でも眠れば、随分気分が変わるはずだ。さっと身体を洗ってすぐにシャワールームから出ると、バスローブのままベッドに横になった。着替えるのが面倒くさい。そのまま毛布を被ると、ものの数分で深い眠りへと落ちていった。

 大きなあくびをして伸びをしたキースは、突然レーダーに現れた所属不明機の存在を感知した時、椅子から落ちそうになった。周りを見渡して誰も見ていなかったことに胸を撫で下ろして、改めてレーダーの反応を見た。位置としては今すぐ攻撃を仕掛けるというようなものではなかったが、それなりの速度でこちらに接近してきている。キースが疑問に思ったのはその侵攻ルートだった。あまりに正攻法に過ぎるそのルートは、RKGが配備されているクレーターの南側、即ち警備の真正面に出るコースである。この場合、よほど戦力に自信があって正面突破をする気か若しくは、おとりのどちらかである。キースは後者の可能性を疑い、ライジング・キャリバーの艦内警報を鳴らしつつ、広域レーダーに切り替えて実働部隊がいないかどうか調べ始めた。そして、先行する敵部隊の後方に、小型巡洋艦を中心とするVR部隊が展開しているのをキャッチした。すぐさまミミーに連絡を取る。

「サルペン中尉!」

キースの座る席の正面モニターに小さなウィンドウが現れ、そこにミミーの顔が映る。画面に向かって彼女の長い髪が垂れ下がっている。携帯端末での受信のようだ。気のせいか、表情は厳しくも喜びを感じているように思える。

「敵が来たのね。どこから?」

「それが、南東の方向からVRと思われる反応が五機、確認できました。あと、その後方に敵部隊の巡洋艦の存在も捉えました。周囲にVコンバータ反応、どうやら敵は大部隊で侵攻してくるようです。」

「わかったわ。あなたにしては上出来よ。私もライデンで出撃するわ。敵には念のため領域侵犯の警告を出しておいて。これをやらないと条約違反になるからね。」

「了解しました。」

彼女のモニターがオフになったのを確認してから、キースは「あなたにしては」は余計だ、と呟いた。それでも仕事はこなさなくてはならない。回線を開放に合わせて、マイクを自分の正面に持ってきた。毎回この勧告というのは緊張する。言い方一つで敵の機嫌を損ねたり、突然襲い掛かられたりすることもあるからだ。生唾を一つ飲み込んで、キースは所々詰まりながら定型文を朗読した。こういうケースでは録音したものは使用しない。全て肉声で勧告は行われる。この電脳暦であってもそれは変わらない。

「あ、あー。うほん!こちらDNA所属特殊部隊RKG。現在進攻中のVRパイロットに告ぐ。これより先は、えー、第五プラント『デッドリー・ダッドリー』の、領域内になる。こちらの勧告を無視してこれ以上進攻した場合は、当方から攻撃を仕掛ける準備がある。速やかに、この領域から離脱せよ。繰り返す・・・。」

ミミーの命令どおり、敵の部隊に即時撤退の勧告命令を出す。当然のごとく、返答など返って来るはずもない、と思っていたが・・・。

「わざわざ勧告ご苦労様。あいにくとあたしたちはこれからあんたのとこと戦争をやりにきたのよ。悪いけど、このまま突っ込むよ!」

女性の口調でありながら低音の効いた声に、キースは意表をつかれて思考が一瞬停止したが、相手の口にした内容が宣戦布告であることを理解して、すぐに第一種戦闘態勢の発令をした。ライジング・キャリバー及びその周辺に配備されているRKGのVR隊が戦闘態勢に移行する。その時、艦内の格納庫から通信が入った。デイビットのグリスボックがカタパルトデッキで発進許可を求めている。

「キース!第三班は今すぐ出られるぞ!発進いいか!?」

「はい、ルース少尉。敵はデータにない機体です。注意してください。」

キースの報告にデイビットは眉を片方吊り上げて顔を曇らせた。半ば呆れたような声をため息と同時に吐き出す。

「なにぃ?また新型か?やれやれ、RNAは金があるねぇ。次から次へと新型を出してくるなんてよ。」

「なにびびってんのよ、小隊長殿!」

底抜けに明るい声が横から割り込んでくる。リン・メイシャン准尉だ。ヘルメットを被っているが、そのヘルメットには色々な装飾が施されていて、なにやら七色に輝いている。この辺もこだわりがあるらしい。だが、少なくともキースにはそのセンスが理解できなかった。

「新型だからって、強いとは限らないでしょ?しょせんVR戦なんて腕次第!あたしが前にでるわ!適当に援護して!」

そういってブリッジの許可もないまま、デイビットと反対側のカタパルトデッキに機体を上げてしまう。

「ほら!ぼさっとしてないで、発進許可出しなよ!」

「は、はい!」

キースはリンに一睨みされて、そのまま発進許可を出してしまった。リンはブリッジにウィンクをして、機体をカタパルトでうち出した。加速をかけて距離を稼ぐ。集結を始めている第二班の頭上を飛び越して一気に前線に踊り出る。

「あの馬鹿女、先行しすぎだ!!」

急いで発進体勢に入ったデイビットは、グリスボックをカタパルトに乗せて発進させた。最大加速で大きくジャンプし、テン・エイティAに追いつく。他の第三班の隊員たちも、続々と発進し、デイビットの指揮のもと、迅速に迎撃体勢を整える。グリスボックの高性能レーダーが遠方から進攻してくるVR五機をキャッチする。デイビットはそのままロックオンして、ミサイルの発射体勢の為、機体を屈ませて安定させた。それにならって他のグリスボック三機とベルグドルも同様の発射体勢を取る。一斉射撃で敵を接近する前に片付ける気だ。

「悪いな。今回はちょっと負けられないんでね。魅せる戦いはしていられねえんだ!いくぜ!」

デイビットの号令とともに、グリスボックの両肩に装備されている六基の大型ミサイルランチャーが一斉に火を噴いた。白煙を引きながら飛び出した後、一度空中で停滞して方向を修正し、目標に向かって一気に加速する。この超遠距離射撃はグリスボックの最も得意とする必勝の戦法だ。ミサイルの最高有効射程は優に四百キロメートルを超え、誘導性能も高い。何より超高速で接近する為、目視でミサイルを確認してからそれを避けるために回避運動をまでの時間が極端に短い。あまり早いタイミングで回避に入るとミサイルは追従していく。ミサイルを避けるには、限界まで引き付ける必要がある。デイビットはこの時点で既に自分たちの勝利を確信していた。

 カルロスは不意に強烈な圧迫感のようなものを覚えて、ドルドレイのレーダーを対VR仕様から一般設定に切りかえた。敵部隊からのミサイルの束をキャッチしたのははたして偶然か、それともカルロスの危機を感じ取る敏感な鼻なのか。接近してくるミサイルの弾幕をキャッチすると、到達までの時間を割り出した。速い。通常のミサイル攻撃ではないことは確かだ。敵のVRが放ったものだろう。カルロスは全員にレーダーが捉えたデータを送信すると、ミランに通信を入れた。

「ミランさん!敵のミサイルだ!かなり速いぜ!?どうする?地中に潜ってやり過ごすには時間がたりねぇ!」

「うろたえるんじゃないよ、カルロス。このドルドレイはそんじょそこらのミサイルなんて効かないようにできているんだ。Vアーマーで全部弾き返してやればいいのさ。」

ミランはカルロスの慌てふためいた声を押さえつけるように返した。だが、カルロスの不安は彼の心強い声にも関わらず、収まることを知らなかった。

「どうも嫌な予感がするんだ。ここは俺に迎撃を任してくれないか?」

久々の出撃で精神が高ぶっているのだろう。カルロスの緊張具合に、ミランは大きく一つ鼻で笑って彼の不安を取り除こうとした。

「ふん、どうしたんだい。あたしが開発に口を出したこの機体が信用できないのかい?」

カルロスは強く首を左右に振って否定した。

「そうじゃない、ミランさん。もしかしたら、敵は核ナパームを撃ってきているかもしれない。この距離なら考えられる。」

「核ナパームだって?」

あり得ないとは思う。明らかに条約違反だからだ。DNA関連の部隊が使用する可能性はゼロに近い。しかし、この距離で射撃をしてくるということの意味を鑑みれば、国際戦争公司の定めた条約に違反したとしても、やりかねない。そもそも、条約など各地の戦域では頻繁に破られている。カルロスの言葉にミランは数秒考えていたが、ひとつ頷くと、「わかった、任せたよ!」といってカルロス機をフロントラインの前面に出させた。

「ありがてぇ。迎撃は任せてくれ!一人、そうだな。フラックを借りるぜ。」

「あーん?僕に何か用かな?ならとりあえず、土下座して靴を舐めたら考えるよ。」

協力要請に露骨な不快感を表したのはフラック本人だった。とかくこの部隊は、味方との連携行動が取りづらい。ミランがいなければ、本当に烏合の衆になるだろう。カルロスはこれからぶつかることになる精鋭部隊RKGとの戦闘に一抹の不安を抱えた。そして、随分と弱気になった自分に気がついて苦笑した。昔なら、こんなことなど考えもしなかったのに。

「いいから、とっとと来い。丸焼きになりたくなかったら、な。」

「ジャッカルの馬鹿が丸焼きになったら美味そうだな。いや、臭くて食えないか。ひゃは!」

ふざけているフラックにミラン機が後方からドリルで軽くつついた。フラックはその警告に渋々、カルロスに続いて加速した。警告をきかなければ、今度は本当に突き刺してくると思ったからだ。ミランの警告はいつでも脅しではない。二機はドルドレイを戦闘速度にまで加速させると、ミサイル迎撃のために先行した。そして数キロメートル進んだところで戦闘用短距離レーダーにミサイルが反応した。進行速度は予想以上に速い。そして、正確にこちらを捉えて向かってくる。カルロスは長距離射撃用のサイトを正面モニターに出すと、右腕のフレイムランチャーを斜め上方に掲げた。接近するミサイルをサイトで捕らえ、手動で狙いをつける。モードは通常ショットではなく、スプレッドショットタイプに変更した。これならば、ミサイルに直撃しなくとも爆風で巻き込める可能性が高い。もっとも、核ナパームであれば、簡単な迎撃では破壊できまい。慎重に構えてトリガーを引こうとした瞬間、なんの前触れもなくフラックはいきなり右腕のロケットランチャーを発射した。ろくにサイトも開かず、ねらいも極めて大雑把だ。しかし、そのロケットは真っ直ぐミサイルに向かって直進し、見事迫る二十四基ものミサイルの四分の一を落とした。

「ひゃはは!!俺様天才!かーんたんじゃん。サイトなんて要らないよん。」

だが、それはまぐれだったのか、続けて放った第二弾のロケットはミサイルを大きく逸れていってしまった。

「ち、上手いんだか、下手なんだか。俺がやるしかないか。」

カルロスはサイトがミサイルを捕らえた瞬間を逃さずにトリガーを引いた。ドルドレイの腕から、灼熱のエネルギーボールが三発飛び出した。そして、カルロスはすぐに第二弾の攻撃態勢に移行した。機体中央にあるVディスクから放出される直接高出力のリングレーザーを使う気だ。

「こいつで決まりだ!!」

カルロスは大きく機体をジャンプさせると、最高出力まで高められたリングレーザーを空中に向かってばら撒いた。機体を左右に大きく揺さぶって、リングを拡散させる。そして着地すると同時に全速力で後退し始めた。

「あれ、帰るの?見ていかないの、花火。特等席だよ?」

フラックののんきな態度に構っていられなかった。フラックの右腕を脇で抱えるようにして、スロットルを全開に踏みしめる。

「馬鹿たれ!下手したら、その花火に巻き込まれて自分が花火になっちまうぞ!?後退しやがれ!」

「ふーん。君も随分日和ったねぇ。まあ、いっかぁ。」

後退するカルロス達の後方で、複数の爆発反応が出る。命中だ。その時だった。

「やっぱりそうか!」

「うっひょー!」

まばゆい光が一瞬にして周囲を包み込み、凄まじい衝撃波が爆音の少し後に襲いかかってきて、二機のVRを大きく吹き飛ばした。重量級の機体が軽々と宙へ舞ったかと思うと、急降下して思い切り地面に叩きつけられ、二度ほど地面に蹴られた。気を失わなかったのは、さすがにジェノサイダー部隊といったところか、カルロスは機体を起き上がらせて振り返った。そこには不気味にきのこ雲がはるか遠方にて天まで突き抜けるかと思われるほど高く立ち上っていた。いくら装甲の厚いドルドレイといえど、あんなものを喰らったら一瞬で跡形もなく消滅してしまうだろう。あの爆発の規模から判断して、とても一発だとは思えない。どうやら第一弾のミサイル群に隠れるようにして核ナパームミサイルを発射したようだ。

「ちっ!やってくれるぜ・・・。」

コックピットで頭を打ち付けたのか、ヘルメットを外して側頭部をさすっているカルロスだったが、表情は満足そうだった。これでミランさんに一つ大きな貸しを作った。こいつを引退の話を持ちかける時に使える。そう考えていた時、ちょうどミラン達が合流した。ミランがカルロスにねぎらいの言葉をかける。

「カルロス!ご苦労さん。おかげで命拾いしたよ。さて、ふざけた真似をしてくれた連中にお返ししに行くとするかい?」

「了解!」

珍しいことだ、彼がねぎらいの言葉を部下にかけるなど。カルロスはこの言葉に感謝の意を感じ、得意になった。あとは生き残りさえすれば、自由の身になれる。こんな傭兵家業ともおさらばだ。カルロスは求めていた完全な自由がすぐ目前につかめる位置にまであることをリアルに感じていた。

 カインは奇妙な浮遊感を覚えて、目を覚ました。そして、そこにある世界の姿に驚いた。そこは何もない暗闇だった。カインは、自分が自室のベッドで寝ていたことをはっきりと覚えていた。夢ではない。夢にしてはあまりにも五感が現実味を帯び過ぎている。カインは突然自分の身体が虚空の闇に放り出されたことにしばしうろたえたが、この感覚が初めてのものでないことを思い出し、小さく呟いた。

「バーチャロン現象・・・か?」

Vクリスタルが人間の精神を取り込んでエミュレートする時に起こる現象で、VRパイロットならば誰しもが体験するものだ。しかし、カインはVRに搭乗していない。それに、バーチャロン現象には違いないが、若干その感覚が異なるようだ。

「ん?何だ?」

目の前の空間は闇だけで構成されていると思われたが、そこに不意にゼロと一の数字の帯が一本現れた。それはやがて何本もの筋となって塊を作り出し、人の姿を形作っていった。そしてそれは一人の女の姿を取った。カインはその姿に目を見張った。忘れもしない、あの日全てが失われたかに思えたあの日、カインはその記憶がまざまざと蘇るのを感じた。そして、それが消えてしまわないうちに手を伸ばそうとした。カインはできる限りの声を張り上げて、女を呼んだ。

「ニーナ!!ニーナ!!!」

カインの声は木霊となって空間に響き渡るも、それは一向にその女に届かない。必死で腕を動かして前に進もうとしても、彼女への距離は全く縮む気配がなかった。ようやく会えた。君に謝らなくてはいけないのに。僕は君に何もできなかった。それをどうしても謝りたくて、君に許してもらいたくて・・・。いや、そんなことじゃない。もう一度、もう一度だけ君に会って、その頬に、髪に、肩に触れたくて、ただ、それだけを願っているんだ。

カインの空しい叫びは声にならずに消えてゆく。あの頃と同じだ。どうしても気持ちが伝えられなかった。いくらでも時間はあったはずなのに。カインをどうしようもない無力感が包んだ時、ニーナと呼ばれた女は、不意に言葉を発した。その言葉は、虚空に響き渡った。

その声は彼女の喉から発せられたというよりも、空間そのものが震えるかのような響きでカインの五感に入り込んできた。

「タングラム・・・。」

カインはその言葉の意味を理解できずに、問い返すように復唱した。

「タングラム?」

「タングラムの目を決して開かせてはいけない・・・。」

タングラムの目?何を言っているんだ?その時、彼女の前に、一つの巨大なVクリスタルが現れ、一つの人型を取った。VRとも人形とも判断のつかないその存在は、全身をクリスタルで構成されていた。そのクリスタルの人形は女に向かって大きく一つ頷くと、足元から数列となって消えた。それとほぼ同時に、カインの五感も次第にその感覚が薄れていった。視界を光が包み込み、眩しさに目を閉じた。先ほど全身を包んでいた浮遊感が消えて、カインの身体を重力が背部方向へと引き寄せていった。

 目を覚ますと、けたたましいサイレンが鳴り響いていた。カインはもう何度か見慣れた天井をしばらく眺めていたが、重い上半身を起こした。眠っていたのか。でも、あの感覚は・・・。ふと、目を自分の胸元に向けると、そこには小さな親指程度の大きさのクリスタルのペンダントがあった。彼女からもらったものだ。いつの時も肌身はなさずに持っている。今まで一度たりとも活性化したことのないクリスタルが自立発光し、暗い室内を照らし出していた。その光とともに、小さな、しかし耳に馴染むような小高い共鳴音が響き渡っていた。

「ナスカ少尉!!出撃だ、はやく格納庫へ急げ!!」

その艦内放送の声はミミー・サルペンだった。相当頭にきているようだ。彼女の般若の形相が目に浮かんで、カインは急いでズボンを履き、上半身裸のままで上着を掴むと、自室を飛び出した。