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Episode35 「フェイ・イェン

遺跡は近づくにつれてその壮大さを増しているかのようだった。巨大人型兵器VRですら、この圧倒的な規模を誇る遺跡の前では極めて小さな存在だった。内部に入るとそれはより強く感じられた。幅はVR三機ほどが横一列に並んで進めそうなほど広い中央通路が遺跡最深部に向けて一直線に伸びていた。高さは恐らく百メートルはあるだろう。内部の暗さも手伝って天井は望遠カメラでもない限り、見ることが出来ない。内壁には様々な彫刻や言葉のようなものが多数掘り込まれている。その壁面は驚くべきことに、一切の接合面というものを持たなかった。そう、全てが一枚の壁で構成されているのだった。このような巨大なものをどのようにして運んだのか。どのようにして遺跡内部に加工して入れたのか。想像すらつかない。その壁にはこの遺跡を作ったであろう存在の歴史のようなものが刻み込まれている。巨大な人型の像はVRであろうか。しかし、現在実用化されているそれとは形状も大きさも違った。桁違いに大きい。全長で言えば、二倍から三倍といったところか。見上げるばかりの巨体、そしてそれに対峙するのはその姿の一切を黒く塗りつぶしてある。形状は、手前側の巨人にそっくりだが、まるで影のように黒い。そして、目と思しき部分のみが血のような真紅で記されていた。良く見れば、同じような構図の絵がたくさんある。そのどれもが、真っ黒な影のような存在と対峙、若しくは戦っているものだ。月面にて発見されたオーバーテクノロジーである遺跡、そしてVクリスタル。それら全てが人類以外の知的生命体が作り出したものであることは、これらが人類の歴史の中にかつて一度も登場しなかったことでも明らかだ。これほどの文明を持つ知的生命体がなぜ、滅びたのか。巨大人型兵器をはじめ、ムーンゲートと呼ばれる転移装置を作り出した強大な力と、その全てを制御することすら可能としたVクリスタルを生み出し、また使いこなした知恵。これほどのものを持った存在が滅びた理由は解明されていない。いや、そんなことには興味すら湧かないというのが本当のところだろう。なぜなら、人類にとって彼らがいつ、なぜ、どのように滅びたかなど問題ではないからだ。文明の発展と彼らの滅亡が必ずしも直接的な因果関係を持つ証拠もない。自分たちにとって有用な技術をいかに効率よく利用するか、ただそれだけである。しかし、その人類に対して警告を発するかのように、この遺跡の壁画は滅亡へのシナリオを描いているように思える。この遺跡の存在をひた隠しにしていた第四プラント「TSCドランメン」、そして今、その所有を奪った第八プラント「フレッシュ・リフォー」もまた、この偉大な発見を世間に対して必要以上に隠そうとしている。その理由は、もしかしたら遺跡の持つオーバーテクノロジーの独占だけではなく、無論この理由が大きなウェイトを占めることは否定しないが、この壁画に描かれている内容を公開したくないからかもしれない。この通路を真っ直ぐ進めば、この壁画の描く結末に至る。だが、程なくこの中央通路は発掘者の手によって閉ざされていた。看板には遺跡構造物の老朽化によって天井や壁が崩れ落ちる危険が示されている。だがこの通路をこれ以上進んではならない本当の理由は、この先に見てはならない、みてしまったら絶望するしかない事実が記されているからかも知れない。

 

アベルは遺跡の内部に入った時から、奇妙な感覚を覚えていた。遺跡全体から放たれる強烈な精神干渉波はMSBS及び、アファームドのコックピット装甲による防護機能によって、何とか正気を保てるレベルで落ち着いているが、それとは別に得体の知れない不思議な波動のようなものを感じるのだった。いや、波動というよりは、旋律、そう、誰かの歌声を聞いているような、そんな感覚だった。

「!」

中央通路が行き止まりだったので、仕方なくわき道に入ったアベルは複雑に入り組んだ遺跡の内部、その曲がり角で機体を停止させた。何かが接近してくる。レーダーには何も映し出されていないが、アベルの直感がそう告げたのだった。もうすぐそこまできている。アベルは慎重にアファームドの腰からマグナムを抜くと、膝を立てた体勢で壁に背中を密着させた。緊張がピークに達した時、アベルは勢い良く角から飛び出してマグナムを接近してくる対象に向けた。

「誰もいない!?」

正面モニターには何も映っておらず、長く暗い通路が先の見えないほどに続いているばかりだった。

「ああ、びっくりしたぁ!いきなり出てこないでよ!驚いたじゃない!!」

アファームドの足元で、何やら人間の声らしきものがわずかに聞こえた。アベルは最初錯覚かとも思ったが、アファームドのカメラを下方向に向けたとき、それはいた。

「少女?人間だと・・・?」

アベルは驚きの余り、それ以上の言葉を失った。彼のコックピットの正面モニターには幼い少女が尻餅をついてアファームドを見上げていたからだ。その少女は淡い桃色の長い髪を頭の両脇でリボンのついた紐でとめていた。服装は派手というよりも特殊で、あたかも近代的な鎧か、プロテクターのようなものを体の各所につけていた。年齢としては、十五歳前後といったところだろうか。顔はまるで絵本の中から出てきたような可愛らしさで、例えていうなら「不思議の国のアリス」のような雰囲気をもっている。現実であって現実でない、そんな不確かなイメージを持たせる女の子だ。その少女はアベルに向かって、彼女の前にいきなり飛び出してきたことを詫びるように怒鳴っていた。アベルはまさかこんなところで人間の、しかも一人でいる少女に遭うなど予想だにしていなかったので、しばらく思考が止まりそうになったが、まばたきを二、三回して自分の精神を無理やり現実に適合させると、マイクを使ってその少女に話し掛けた。

「こんなところで何をしているんだ?ここは危険だ。君のような女の子がいるべきところじゃない」

通常の人間であれば遺跡の中にいるだけで精神崩壊を起こしても不思議ではないほど、クリスタルによる精神干渉波が強くなっている。少女はそんな場所に生身の体で平然としている。アベルは少女と遭ったショックの次に、この別の驚異的事実を認識して、またショックを受けた。だが、そんなショックはこれから彼が体験する衝撃的な出来事の連続のほんの一部分でしかないのだった。

「人に尻餅つかせておいて、言うべき台詞が違うでしょ!まずは謝りなさいよ!」

極めて非日常的な場面において、極めて常識的な指摘を受けてアベルは混乱しつつも頷いた。

「あ、ああ、驚かせてすまなかった」

アファームドのマニピュレーターの人差し指を伸ばして、その少女の前に差し出した。少女はその指に掴まって立ち上がると、自分の尻を両手ではたいて埃を落としながらアファームドを見上げた。

「最初の態度はなっていなかったけど、まあ、いいわ。ちゃんと謝ったから許してあげる」

そういって少女は極上の笑顔をアベルに向かって投げかけた。その笑顔に、なぜか自分の追い求める者のそれが重なり、アベルはしばらく少女の微笑みにみとれてしまった。

「君はどうしてこんなところにいるんだ?」

「んとね、お姉さまを探しているの」

「お姉さんを?ここでか?」

「うん、確かにここの近くでお姉さまの気配がしたと思ったから来てみたんだけど、ここ広くって、しかもおんなじような模様がたくさんあって、何だか迷っちゃったの」

アベルは少女の言っていることが理解できなかった。こんな場所で肉親探しだと?馬鹿げている。ましてや子供がこんな場所まで迷い込んでくることなど、万に一つもない。人間が住んでいる居住区はこの遺跡から遥か彼方だ。アベルは警戒しながら少女の事情を探ることにした。この少女、絶対に普通ではない。何かこの遺跡について知っている可能性がある。いや、もしかしたら遺跡を警備しているフレッシュ・リフォーの手のものだろうか。いずれにせよ、アベルには情報を集める必要がある。

「そうか、道に迷ったのか。実は俺もそうなんだ。一緒に出口を探しにいかないか?」

「え?」

「ついでに君のお姉さんも探そう。どうだ?」

少女は上目遣いでアファームドを見ながら両手を背中で組んで足を交差させ、考えている様子だったが、やがて大きく頷いた。

「わかった、一緒にいこう!」

そう言って、アファームドのマニピュレーターに飛び乗って、その手のひらの上に座り込んだ。

「よし、じゃあいこうか」

アベルはアファームドを立ち上がらせると、通路を先に進み始めた。

 

アベルは外部に音が漏れないようにセキュリティーレベルをあげつつ、外にいるランのレーダーボックに通信回線を開いた。先ほどマイクで拾った少女の声の音を文字情報化して送信し、続けてキーボードで事態の報告を行った。その間も、話し掛けてくる少女の相手をしながら相槌を返していた。

「さっきから同じ所をぐるぐるまわっちゃってさあ、ホント、困ってたんだよねぇ。ある意味、あなたに会えてよかったわ」

「それは俺も同じだ。仲間とはぐれてこんな遺跡に中に迷い込んでしまって、一生外に出られなかったらどうしようかと思っていたんだ。でも、これからは一人じゃない。心強いよ」

アベルにしては珍しい、柔らかい言葉の表現に少女は軽く頷きながら顔をアファームドの進行方向に向けながら言った。

「それ、うそでしょ?」

「え?」

首を少し傾げながら手前に振り返り、少女はいたずらっぽい笑顔を浮かべてカメラ越しに彼女を見ているアベルの心の中を覗いてくるかのように言った。

「嘘ついたってダメだよ。この子が嘘だって教えてくれるもの」

「この子?誰のことだい?」

「そのVRよ。この子は何でもあたしに教えてくれるよ。ナニナニ、彼の名前はアベルっていうんだ。へぇ〜。凄いハンサム?どれどれ、わぁ、ホントだ。うそぉ、女の人みたい!」

少女の独り言の一つ一つにアベルは愕然とした。彼女は何も聞いていない。何も見ていない。それにも関わらず、彼女はアベルの名前と特徴を言い当てて見せたのだ。どうやら誰かに話を聞いているかのような素振りだが、まさか・・・。

「そのまさかだよ。知らないの?VRには一人一人ちゃあんと意思があるんだから。単なるロボットなんかじゃないんだよ。普段はMSBSのリミッターで抑えられちゃっているけどね」

「VRに意思がある、だって?」

仰天の事実にアベルはそれ以上の言葉を失った。

「そうだよ。それとぉ、この子、あなたのこと大好きだって!あ、ごめんごめん。これは言わない約束だったね。あははははは!」

既に衝撃の情報を一度に送り込まれたアベルの脳は完全にオーバーヒート気味だったが、それでも自分から話題を変えることで活路を見出そうとした。

「き、君の名前、まだきいていなかったね」

「あたしの名前?教えて欲しい?」

少女は唇に人差し指を当てて、アベルを斜めに見る。

「ああ、是非」

「じゃあ、教えてあげる!あたし、フェイ・イェンっていうの」

「フェイ・イェン?チャイニーズかい?」

「ぶー。外れ。あたしはね・・・」

少女は何かを言いかけて、ふと何かに気がついたように周囲を見回した。そこは、いまだに剥がれ落ちていない高品質のVクリスタルが、極めて高い活性化状態で通路一面、床も天井も、覆い尽くされていた。そのVクリスタルに覆われた壁や床は一定のリズムで発光、明滅を繰り返している。そしてアベルはふと、自分の置かれている状況に気がついた。随分と遺跡の深層部分に近づいてきている。強烈な精神干渉波が予想されるも、アベルは何事もないように平然としている。いや、それどころかこの少女に出会ってからというもの、その精神干渉波を感じなくなっているようだった。少女はそんな困惑しているアベルを尻目に遺跡一面に広がるクリスタルの淡い輝きに見とれていた。

「うわ〜、きれい・・・。あたしこういうのを見ちゃうと我慢できないんだよね・・・」

そう言ってフェイ・イェンはアファームドの手のひらの上で両足を投げ出した姿勢で座り、瞳を閉じてハミングし始めた。すると、その小さな旋律は次第に周囲のクリスタルと共鳴しだし、ついには一つのメロディーとして、遺跡全体が光と音を発した。その旋律から発せられる不思議な波動はしかし、アベルの精神を侵食するどころか、極端に緊張状態にあった彼の気持ちをほぐしていた。自然と両目を閉じて、彼女の鼻歌に耳を傾ける。

「一緒に歌おう!」

少女はそのクリスタルの放つ共鳴に大きく一つ頷くと、立ち上がって歌い出した。すると、フェイ・イェンの周囲に桃色の光が生まれ、それはどんどんと大きくなっていった。そしてついにはアファームド全体を包み込むハート型の風船のようになった。アベルは目を見張った。浮いている。アファームドが床に足をつくことなく、浮いた状態で移動しているのだ。彼女の歌声に合わせてクリスタルが音楽を奏でる。それはもはや共鳴音といった単一の音に限らず、あたかもそこに演奏者がいるかのごときリアルな真の音楽として、彼女と一緒に歌っている。クリスタルから虹色の光の帯が放たれ、アファームドの手のひらで歌う彼女を照らす。その光は歌にあわせて様々に変化し、舞台を演出する。遺跡全体が、彼女のコンサートホールになっていた。アベルはその歌を録音しながらあることに気がついた。

「精神干渉波が弱まっている。彼女の歌が、干渉波を相殺しているのか?いや、クリスタルに干渉波以外の波動を出すように促しているというべきか。彼女、フェイ・イェンといったな・・・」

アベルは楽しそうに歌う少女の横顔をサイドモニターで見ながら、不思議な力と雰囲気を持つ彼女の魅力にいつのまにか自分の警戒心が解けていることを知った。アベルの右腕の人差し指はいつの間にか操縦桿のトリガーを離れ、彼の太ももの上でダンスを踊っていた。フェイ・イェンの歌が最後のメロディーの最高潮に達しようとする時、いきなり遺跡の奥から低音で響く怒号が二人を襲った。その怒号は一帯の空気を振動させ、ハート型の仮性ゲートフィールドの包まれていたアファームドを激しく揺さぶった。突然のことにフェイ・イェンはバランスを崩して手の平から落ちそうになった。アベルはとっさにアファームドのもう一方の手を受け皿にして彼女が床に激突するのを寸でのところで防いだ。怒号は鳴り止むことなく響いた。それは怨念や恨み、苦しみや悲しみといった感情の汚物の塊を直接ぶつけられたかのような不快感をアベルに感じさせた。呼応するように、先ほどまで少女の歌に酔っていた遺跡全体のクリスタル質が再び強烈な精神干渉波を出し始めた。

「何これ?こんな苦しそうな声、初めて聞いた・・・。クリスタルの声なの・・・?」

フェイ・イェンがそう呟いたその時、アファームドを飲み込むような凶暴な光が遺跡の奥から飛来した。

「く、これは!な、なに?アファームドのリバース・コンバートが・・・!?」

「きゃああ!何なのよう、これ?気持ち悪い・・・!」

光に浸食されるようにアファームドのリバース・コンバートが解除されていってしまう。足元がなくなり始め、瞬く間に腰まで実体を解かれてしまった。やがてアベルとフェイ・イェンを光が覆い尽くし、その場にいる存在を跡形もなく虚空へと消し去ってしまった。