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Episode36 「天使降臨

どのくらい気を失っていたのだろうか。アベルはコックピットの中で頭を数回軽く振って、目を開けた。アファームドのコックピット内は正常な動きを見せている。とりあえず、活動に支障はなさそうだ。どうやら無事にリバース・コンバート出来たらしい。操縦桿を握り、アファームドを立ち上がらせた。

「ここは、どこだ?」

とりあえず、周辺の状況を知るためにセンサーをマップモードに切り替えて、立体映像を作成、それを正面モニターに映し出した。そこは、それほど広くない、薄暗い八角形の部屋だった。壁はなく、外周は深い堀になっている。床には明滅を繰り返すVクリスタル質と、RNAを象徴する目玉のマークがいたるところに点在していた。アベルは不意に、一緒にいたはずの少女の存在を思い出し、あたりを見渡した。バイオセンサーを働かせ、アファームドの周りを探す。まさか、不思議な力によってコンバートされたときにはぐれてしまったのか。

「ほっ・・・」

アベルは胸を撫で下ろした。少女はすぐ側にいた。床に倒れて意識を失っているようだが、少なくとも外傷は見当たらない。アファームドの膝を折ってかがみこむと、マニピュレーターで軽く触れてみる。

「う・・・ん・・・」

小さくうめいて意識を取り戻した少女を見て、アベルはひとまず安心した。意識を『持っていかれて』はいないようだ。

「どうやら、無事のようだな」

まだ意識のはっきりとしない眠り姫は重いまぶたをこすりながら、上半身を起こしてきょろきょろと首を左右に振ってあたりを見渡す。

「あれ、ここ、どこ?」

フェイ・イェンはアファームドを見上げて寝言のように呟く。

「わからない。俺たちはさっきのところから何らかの力でここへ飛ばされてきたらしい」

「ふうん。よっと!」

一つ頷くと、フェイ・イェンは元気良く飛び起きた。身体についている埃を手ではたいて落とす。そして天井や床を見ながらどこへともなく歩き始めた。

「とりあえず、ここから出る方法を探そう」

アベルの提案に少女は振り返って「OK」と頷いた。念のため、アベルはパッシブセンサーの感度を最大に上げつつ、周囲を探る為に機体の歩を進めた。通信回線を開いてみるも、届かない。遺跡のかなり深い位置にいるらしい。何はともあれ、まずは仲間と連絡を取ることと、どうやってここから脱出するか、その方法を探ることが最優先課題だった。ふと、アベルは部屋の中心で光を放っているところに目を移した。少女も同じく、部屋の中心部に興味を持ったらしく、歩いて近づいていく。

「むっ!?」

アベルは突如、強烈な波動ともいうべき「何か」を感じた。その次の瞬間に巨大なクリスタルが天井から部屋の中心に現れた。アベルは思わずその輝きに目を奪われた。巨大なVクリスタル、しかも極めて高度の活性化状態にある。その大きさは軽くVRの背丈ほどもあるものだ。まるで吸い込まれるかのように、アベルはそのクリスタルにアファームドを近づけた。

「わぁ、こんなにおっきいクリスタル、見たことないよ・・・」

フェイ・イェンは瞳を輝かせて光の結晶体に見入っている。

「Vクリスタル・・・。月面にしか存在しないと言われていたはずなのに・・・。それにこの光、完全な活性状態にある。なぜ、こんなところに?」

通常、高度の活性化状態にあるVクリスタルはそれに近づいた人間の精神を取り込み、記憶障害や意識障害を引き起こす、人体にとって危険な存在である。だが、まれにアベルのようにVクリスタルに接触しても全く問題を起こさない人間も存在する。一般にそれらの人を「バーチャロン・ポジティブが高い人間」として、VRパイロットとしての素質を持つといわれる。だが、いくら高い適性を持っていたとしても、これほどの規模のVクリスタルに接触して無事で済まされることはあり得ない。あたかも、このVクリスタルはアベルのことを知っているかのように、共鳴を始めている。そう、あえて表現するならば、長い間待っていた人物を迎え入れるような、そんな優しさと包容力に満ちた輝きを放っている。アベルがその光に導かれるようにVクリスタルにアファームドのマニピュレーターを伸ばしたその時、クリスタルが一際強い光を放った。

「うっ!」

「きゃっ!眩しい!!」

その余りの眩しさに、アベルはアファームドの腕部でカメラを覆って光を遮りつつ、機体を後退させた。突然、天井と床から八つのVクリスタルが表れ、中央のクリスタルを囲んだ。空間が捻じ曲がって見えるほどに強烈な仮性ゲートフィールドが発生し、何か巨大なものがリバース・コンバートされ始めた。同時に、現れた八つのVクリスタルからは身の毛もよだつほどの憎悪と苦痛に満ちた悪寒のような精神干渉波が次々に放たれてきた。堪らずアベルはアファームドを全速で後退させた。このままではクリスタルに精神を飲み込まれてしまう。

「何?何が起こってるの!?」

「フェイ・イェン!」

少女の叫びにアベルは機体を急転進させ、少女の元へ走った。ゲートフィールドに飲み込まれてしまえば最悪の場合、異世界「電脳虚数空間」へ飛ばされてしまう。そんな知識はないアベルだったが、本能的に感じた危機感によってアファームドを走らせていた。空間にぽっかりと空いた穴から巨大な何かがこちらの実空間に飛び込んでくる。

「きゃああ!」

間一髪、アベルはアファームドを滑り込ませるようにして機体を屈めつつフェイ・イェンをマニピュレーターで拾うと、大きく前方へジャンプしてリバース・コンバートの巻き添えから逃れた。

「アベル!あれを見て!」

着地と同時に巨大な物体の正体を見極めようとフェイ・イェンの指差す方を振り返り、アベルはその存在に圧倒された。

「何だ、これは・・・!!」

それは上下対象の四つの足を持った巨大な存在だった。横の直径は約四十メートル、高さは天井と同じ約三十メートルほどだ。遺跡に使われているVクリスタル質を含んだブロックで構成されるそれは、移動砲台とでも呼ぶべきものだが、大きさが尋常ではない。それは回転しながら中央のVクリスタルを挟み込むように構えた。一瞬、その動きが止まる。Vクリスタルが抵抗している?アベルは根拠もなくそう感じた。だが、その抵抗も周りを取り囲む八つのクリスタルの禍禍しい輝き押しつぶされ、四つの足を持ったそれはVクリスタルを閉じ込めるようにして合体した。そして、天井と床についた足を高速で動かしてアファームドに接近しながら、四つの砲台からビーム攻撃を連射してきた。あらゆる角度に対してビーム攻撃を乱射し、この部屋を完全に破壊し尽くすかのような勢いだ。アベルはマニピュレーター内にいる少女を両手で囲むようにして守りながらアファームドを素早く左に移動させ、Vクリスタルを閉じ込めた巨大な怪物の周りをまわりこむように旋回した。

「何だ、この感覚!!?」

アベルは言い様のない不快感に襲われた。自分の中に何かが侵入してくる、いや、自分がそのクリスタルの中に取り込まれるような錯覚を覚える。バーチャロン現象だ。先ほどまであれほど優しい光を放っていたVクリスタルが突如してアベルの精神を喰らい尽くそうと牙を剥いてきたのだった。それだけではない。まるで他人の負の感情が流れ込んでくるかのような、頭の中に直接響く悲痛と憎悪の固まりのような叫びが幾重にも重なる。自分以外の感情が、彼の肉体と精神を引き剥がそうとしているかのようだった。

「さっきの八つのクリスタルからの精神干渉か!?こんなもので・・・!!」

フェイ・イェンはクリスタルの放つ強烈な精神干渉波を受けて両耳を抑えるようにして苦しんでいた。

「フェイ・イェン!?」

「ねえ、アベル!苦しんでいるよ!クリスタルが、クリスタルが苦しいって悲鳴をあげているよ!」

「苦しむ?Vクリスタルが?」

大きな瞳に涙を一杯に溜めて少女はアベルに叫んだ。彼女の中に、クリスタルの放つ苦しみと憎悪の感情が直接流れ込んでいるのだった。解放を求めてすがりつこうとする断末魔の絶叫がアベルの中にも否応なしに注ぎ込まれる。その勢いは、アベルの精神そのものを絶叫で覆い尽くしてしまうほどだった。アベルは唇を血が滲みそうなほど食いしばり、自分の意志を維持しようとした。巨大兵器は無差別に攻撃を仕掛けてくる。まるでその姿は内側にある狂気に耐え切れずに暴れ出し、自らを傷つける精神病患者のようだった。

「閉じ込められているのよ、あのでっかい奴に!無理やり力を封じ込められて、もう爆発しそうだよ!!」

「とにかく、こいつの動きを止めないことには!くっ!?」

巨大兵器はビーム攻撃に加えてVディスクを発射してきた。巨大兵器の周辺にコンバートしてきたVディスクが次々にアベルに襲い掛かった。そのVディスクはまるで意思を持っているかのような複雑な動きをしながら接近し、アベルに精神干渉してくる。地獄の亡者が生ある存在にしがみつき、己の痛みを紛らわそうとするかのようだ。

「これは、まさか、全て人間の精神を取り込んだものなのか?」

アベルは素早くフェイ・イェンを床に下ろすと操縦桿を握りしめ、迫り来るVディスクをビームトンファーで片っ端から叩き落した。Vディスクが割れるたびにアベルの脳内に断末魔の叫びがこだまする。気が狂いそうなほどの絶叫の渦に支配されたコックピットは精神の拷問部屋と化していた。その苦痛と狂気の中でアベルの精神をこの肉体につなぎとめるものはただ一つだった。

「俺はこの手にあいつを取り戻すために生きているんだ!こんなところでくたばって堪るか!!」

最後の一枚を回し蹴りで吹き飛ばす。少女は無事か?それを確認すべく、アファームドの足元にメインモニターのカメラを向けた。何と、少女はあろうことか、巨大兵器目掛けて走り出していた。

「何をする気だ!下がれ、フェイ・イェン!」

しかし少女は聞く耳を持たない。ビームの火線が飛び交う中、一直線に突っ込む。彼女の身体が再び桃色の光に包み込まれる。

「もう、あったま来た!!誰よ、こんなかわいそうなことする奴は!今、あたしが助けてあげるからね!!」

桃色の光がハート型の仮性ゲートフィールドを形成した。そして、少女の身にまとっていたプロテクターは姿を消し、その身体は一瞬の内に弾けるようにして巨大化した。ハート型仮性ゲートフィールドが収縮し、そこから姿を現したのは女性型のフォルムをしたVRだった。その姿は少女が消える前まで身につけていたプロテクターに似ている。まさか?アベルは自分の目を疑った。

「フェイ・イェンちゃん、お怒りモードでお目覚め完了!!」

右手を腰に当てて変身完了のポーズを決める。アベルは突然の出来事に、目の前の光景が果たして現実であるのかどうか、自信がなくなった。自分の中で常識という名の彼を支えてきた一本の太い支柱が崩れていく。フェイ・イェンはビーム攻撃を左右の軽快なステップでかわしながら胸のビーム発射口を開いた。中にはハート型のクリスタル・ジェルらしきものが封入されている。そのハートが輝き、彼女の前の空間に桃色のハートを描いた。

「エモーショナル・アターック!いっけー!」

巨大兵器に向けて放たれた強烈な投げキッスはしかし、それ以上に強固な、視覚で確認できるほどの仮性ゲートフィールドが形勢する空間の壁の前にあっさりと弾き返されてしまった。

「うそぉ!?」

驚きのあまり、しばし立ち尽くすフェイ・イェン、そこに牙を剥き出しにしたビーム砲連射が襲い掛かった。

「間に合ってくれ!」

アベルはアファームドを最大加速で走らせた。ビーム砲が今正に少女の胸を貫かんとした瞬間、間一髪アファームドを飛び込ませて彼女を床に伏せさせた。もつれて倒れた機体を起こそうとしたとき、正面モニターに女性型VRのフェイス部分が映った。

「あ、ありがと・・・」

その言葉とともに、フェイス部分が若干赤味を帯びた気がした。アベルは目の前の事態が戦闘中の出来事であることを心底幸運に思った。平時でこれを見せられたら、きっと卒倒してしまうことだろう。アベルはすぐさま機体を起こして、振り向きざまにマグナムを抜き放つ。そして、迷わず二発発射した。その弾丸は巨大兵器のVアーマーの前に、かすり傷一つとして負わせることが出来なかった。厚さ数十センチメートルの鋼鉄の壁さえ貫通する威力のあるマグナムが、全く通用しない。何事もなかったように、巨大兵器は再び動き出し、ビームを乱射してくる。アベル達の後方、堀をはさんだ向こう側の壁がビームによって崩壊していく。このままでは例え巨大兵器の攻撃を避けることができたとしても、この部屋全体が崩れて、土砂の下敷きになってしまう。どうする?アベルが対策を考える為に一瞬注意を逸らした時だった。

「きゃあ!」

フェイ・イェンのすぐ側を強烈なビームが通過し、その余剰エネルギーが空気を焦がして彼女の右足の表面を焼いた。

「あっつーーい!!」

「大丈夫か!」

見たところ、装甲の表面が熱によって焦がされている。しきりに痛みを訴えるフェイ・イェン。これでは俊敏な動きは無理だろう。とてもこれ以上、巨大兵器の猛攻を回避できそうにない。

「む!?」

突如、巨大兵器が動きを止め、部屋の中央へと移動した。そして、先ほどから閉じていた拘束具が上下に分かれ、中のVクリスタルが剥き出しになった。

「来る!」

アベルは傷ついたフェイ・イェンをアファームドで抱きかかえて飛び上がった。超高出力のレーザーが足下を通過していく。ライデンの放つレーザーにも匹敵するほどの強力無比な攻撃が、なんとクリスタルから放射状に三百六十度に放たれていく。全く死角がない。着地したアファームドにもう一度レーザーが迫った。それを回転しながら左に素早く移動してこれを回避する。だが、着地直後の無理な体勢から機体を勢い良くひねったことで、バランスを崩して肩膝をついてしまった。次のレーザーがVクリスタルから一斉に発射された。かわし切れない!いや、この場でこの少女を放り出せば、何とか間に合うかも知れない。生き延びる為に、最愛の妻子をこの手に取り戻す為に、アベルは全てを捨てる覚悟をしていたはずだった。しかし、彼の石のような決心に迷いが生じた。この少女と出会ったときから感じたあの感覚・・・。それは自分の捜し求めている者のもつ雰囲気と似ていた。アベルは首を左右に振った。出来ない、この少女を、フェイ・イェンを捨てて自分だけが助かることなど!容赦なく襲いくるレーザー、アベルはとっさに彼女を庇うようにアファームドの背を盾にした。

「アベル・・・!」

正面モニターに映る少女型VRの顔が、またしても最愛の女のそれに重なる。何故かはわからなかったが、アベルに悔いはなかった。

 

 

 ヴァイスは連絡が途切れてから十分以上過ぎているにもかかわらず、何の応答もないアベルの身を案じて苛立っていた。

「おい、お嬢さん。アベルとはまだ連絡が取れないのか?」

怒気の混ざったヴァイスの声に、ランも不安と焦りをあらわにしていた。

「いくら通信を送っても応答がないの。それに、彼がロストしてからは遺跡内部のクリスタルの活性化状態が強くなっていて・・・」

ジョナサンは眉間に皺を寄せて唸るように言葉を吐き出した。

「もしかしたら、活性化したクリスタルの強力な仮性ゲートフィールドの干渉力が通信を遮っているのかも知れませんね。まさか、アベルさんの身に何か!?」

ジョナサンの言葉は、その場にいる三人が一番危惧し、また考えたくない事態だった。しかし、事は一刻を争う可能性がある。現実から目を逸らす時間的猶予はすでに失われていた。

「アベルが途中で報告してきた『女の子』というのも気になるし・・・」

「罠かも知れねぇ。やばいな!」

ランはボックを走らせながら、後方にて突入を躊躇する二人に向かって怒鳴った。

「突っ込むに決まっているでしょ!?それともクリスタルの精神干渉波が恐いの?意気地なし!あたしは一人でも行くからね!」

「馬鹿!無茶だ!こんな強力な干渉波が出ているんだぞ!入り口に辿り着く前に精神がいかれちまう!」

ヴァイスは全速力でランのボックに追いつくと、後方から羽交い絞めにした。アベルから二人を頼むと言われた自分だ。冷静でいなくてはならない。

「離してよ!」

「だから馬鹿な真似はよせ、この猪突猛進女!」

「猛進で悪かったわね!あたしはあんたたちみたいに仲間がピンチだって時に自分の身を案じて立ち止まっているなんてまっぴらご免なの!」

ヴァイスはランの焦りと怒りに任せた台詞を聞いて、目をつり上がらせた。ボックをアファームドのパワーで強引に持ち上げると、遺跡と反対方向にボックを放り投げた。

「俺だって出来ることなら今すぐ助けに行きたいぜ!だがな、それじゃあ四人とも確実に精神を食い荒らされて木偶の棒になっちまう。お前の頭は飾りか?その可愛いお顔の上にくっついている頭の中味は空っぽなのか?考えるんだよ、脳みそで!どうしたらあいつと連絡を取れるか。どうしたらあいつを俺たちが助けられるかを!」

一気にまくし立てて、ヴァイスはアファームドの頭部に右腕のマニピュレーターの人差し指をつき立てた。ランはボックのコックピットの中で下を向いて、黙り込んでしまった。そう、この二人もアベルを助けたいと思っているんだ。彼を確実に助ける為にはどうすればいいのか、それを必死で考えているんだ。つい数日前に知り合ったあたしなんかよりもずっと彼のことを知っていて、彼のことを慕っていて、心配しているんだ。それに気がついたとき、ランはボックを立ち上がらせて通信を送りつづけた。もし、一瞬でも通信が繋がれば、アベルのいる場所を特定することが出来る。精神干渉波が弱まった瞬間に突入して、数分間の間に遺跡から脱出すれば、まだ望みはある。ヴァイスはようやく自分の役目を認識したランに眉をひそめながらため息で笑った。だが、すぐに険しい表情に戻ると、彼を助ける為の思案を巡らせた。不意にジョナサンのレーダーが何かを捕らえた。アベルではなく、遺跡の外からの反応だ。

「敵か!?」

油断なくジョナサンが一帯を隈なくレーダーで調べる。ヴァイスはランに通信作業を続行するように指示すると、アファームドのセンサーを切り替えて警戒態勢を強化した。MSBSの起動もすぐに出来るように準備する。

「来ます!上空四千メートルから何かが急降下してきます!ミサイルじゃない?Vコンバータ反応、VRです!」

「ち、見つかったのか!」

ジョナサンはアファームドがキャッチした未確認飛行物体の放つ強大無比なVコンバータ反応にしばし言葉を失った。ジョナサンの様子がおかしいと感じたヴァイスが彼を叱咤した。

「おい、ジョナサン、しっかりしろ!どうした!?」

「これを見てください!桁違いのVコンバータ反応値です!あ、き、きた!!!」

それは空から降ってきた。白く輝く光の球だった。直径はそれほど大きくなく、四メートルほどだろうか。肉眼でも確認できるほどに接近してきた光の球は、三人の中心に向かって一直線に降下してくる。凄まじいまでの落下速度だった。地面に激突する、と思われたその瞬間、光の球は地面の上、十メートルほどの高さで停止し、宙を浮遊していた。まばゆい光が大きく広がって三機のVRコックピット内のモニター類一切が白一色で包まれた。余りの眩しさに、光の球を正視できず、三人は両腕でその光を遮った。両腕の隙間から見えるその姿に、彼らは目を見張った。幻覚かとも思われた。やがて少しずつ光が収束していき、目くらましにあっていたVRモニターが光の中心にいる存在のシルエットを明確に映し出しはじめた。ヴァイスが一番先に見たものは、モニターの中一面に舞う純白の羽だった。ジョナサンは二対の輝く光の翼を目の当たりにした。ランは、光の中心で瞳を閉じて、胸の前で両腕を組んで祈りを捧げているかのような一人の美しき少女を見た。その少女は周囲に残る光を振り払うように、背中の輝ける翼を一振りした。一瞬あたりがもう一度まばゆい光に支配された後、全ての視角が完全に通常の状態に戻った。その中で一つ、そして一際存在感を放つ少女がいた。ゆったりとした法衣を纏い、右腕には杖を持っている。その杖の先端には、淡いエメラルドグリーンの光を放つクリスタルが取り付けられている。重力を無視する形で、ゆっくりと少女は地面に降り立った。ランはその姿を見て、直感的に言葉を発した。

「天使・・・?」

その存在は輝く光とその背中に備えた翼によって、自らを崇高な神の御使いに見せていた。美しく、気高く、安らぎに満ちている。この世界に天使などいるはずがない。常識が今、三人の目の前で音をたてて崩れ落ちてゆく。その時、天使の姿をした少女は宙に浮いたままの姿勢で優雅な素振りとともに言葉を発した。それは言葉と呼んで良いものか、三人は途惑った。音として耳で認識していないのだ。直接脳に情報が流れ込んできている。

「時代を支配せんと企む暴君の騎士たちよ。これ以上遺跡に近づいてはなりません」

「何!!媒体なしの直でマインドコネクトしやがるのか!!?」

ヴァイスは驚きを声に出して表した。ジョナサンとランに至っては、驚きの余り言葉を発することさえ出来ずに呆然となってしまっていた。

「立ち去りなさい。罪深き王の僕たちよ。これ以上、アース・クリスタルを苦しめて何とするのです?」

ランは自分自身を必死で目前の現実に適用させようと足掻いた。それが出来たのは、彼女が明確な目的を今、持っていたからだった。彼女の願いはただの一つだ。天使がそれを忠告しようとも、阻止しようともそんなことに揺るがされるものではなかった。

「そうはいかないの!仲間が遺跡の中に入ったまま連絡が取れないのよ!助けにいかなくちゃならないの!」

アベルを助けたい。その願いだけがランを現実へとつなぎとめた。そして、彼女の想いはヴァイスとジョナサンに冷静さを取り戻させるきっかけともなった。普段の時に今の現実を見せつけられたら、とてもではないが、正気を保っていられないだろう。

「なるほど・・・。この一帯にときどき感じたあの妙な『視線』はあんたか・・・。俺たちをずっと見張っていたのか?」

ヴァイスの問いに天使はゆっくりと首を左右に振って否定した。

「いいえ、それは私ではありません。まさか既に何者かが遺跡内部に入り込んでしまったのですか・・・。いけない。人の心を吸って悪しき拘束具に捉えられたアース・クリスタルが暴走したら大変なことになる・・・!」

「どういうことですか?一体、遺跡の中で何が起こって・・・!?」

ジョナサンが言葉を言い終える前に、天使を含むその場全員が、大地を激震させる絶叫を聞いた。脳に直接的に響き渡るそれは、地鳴りとともに彼らの肉体と精神を引き剥がさんとした。

「なんだ、こりゃあ!!?」

「何、これ!!頭が割れそう!!」

「うわああぁぁぁ!!」

「クリスタルよ、我らをお守りください」

天使はじっと目を閉じると、両手を胸の前で組み、祈るように精神を集中させ始めた。天使の周囲を囲うように、半透明のカーテンが三人を優しく包み込む。それはオーロラだった。風に揺られてなびくそれは、遺跡から突如発せられた怒りと苦しみ、憎悪の叫びを遮断した。そして、彼女の手にしているクリスタルの杖が光を放ち、三人のVRのモニターに映像が流れ込んできた。ランはその映像を見た瞬間、目を覆って顔を伏せた。今正に、アベルの乗るアファームドが巨大な何か、極めて凶暴かつ屈強な巨大兵器に踏み潰される寸前だったからだ。だが、アベルは間一髪、巨大兵器の攻撃をかわして機体を離脱させた。だが、まだ安心できない。次々と襲い掛かる波状攻撃に成す術もなく逃げ回るだけだった。このままではいつかやられてしまう。アベルの側には、謎の女性型のフォルムをしたVRがいた。淡い桃色の髪飾りのようなものを頭部から二本下げているそれは、従来開発されてきたどの型の戦闘用VRともかけ離れた存在だった。見たことのない機体だ。一体誰が操縦しているのだろうか。敵なのか、味方なのか。しかし、その女性型VRもまた、巨大兵器の猛攻にさらされて危機に瀕している。その光景を見て声を上げたのは、天使の少女だった。

「フェイ・イェン!どうしてこんなところに!ああ、このままでは二人とも!」

天使は三人に向かって表情を硬くして呼びかけた。

「お願いです!どなたか力を貸していただけませんか?このままでは、あなた方の仲間も、私の妹もアース・クリスタルの暴走に巻き込まれてしまう!」

「どういうこと?」

「私は武器を持ちません。それは私の中に武器という概念がないからです。今、二人を救う為には武器が必要です。それには、人の精神を私のVコンバータでイミュレートしなくてはならないのです」

少女の言葉に三人は驚いた。Vコンバータだって?

「あなたはひょっとして・・・」

「そう、私はVRです。今は人の姿をしていますが、Vコンバータによってこの姿を実体化させているのです」

恐らくこの場にいる三人の中で一番頭の回転の速いヴァイスが気づいて叫んだ。

「待てよ!?あんたの言っていることは人間の精神をあんたのVコンバータに取り込むってことじゃないのか?MSBS制御をされていないVコンバータに精神を取り込まれた人間は重度のバーチャロン現象になって廃人になるぞ!」

ヴァイスの言葉に翼を持つ少女は小さく頷いた。

「もし、取り込んだ人の精神が私との同調に失敗すれば、おそらくそうなるでしょう・・・。しかし、今はそれしか方法がありません」

険しい少女の真剣な眼差しは、大きな使命を背負っていることを物語っていた。そして、その焦燥ぶりは大切な人が危機に瀕していることからくるものであることもわかった。

「あたしがいくわ!」

ランの一言が事態を動かした。そう、迷っている暇はない。こうしている間にも、アベルが巨大兵器にいつ何時撃破されてしまうともわからないのだ。

「それは無茶です!あなたのバーチャロン・ポジティブでは精神が身体に戻る前にVコンバータ内で霧散して廃人になりますよ!ここはアベルさんの次にバーチャロン・ポジティブの高い僕が・・・!」

ジョナサンの無謀な申し出にヴァイスはアファームドのマニピュレーターでジョナサンの機体の肩を掴んだ。

「馬鹿たれ!MSBS制御のないVクリスタル質に精神が取り込まれちゃあ、アベルクラスの適性値でもない限り『戻ってくる』のは無理だ!あいつを助ける前にミイラ取りがミイラになっちまうぞ!?」

「迷っている時間はないよ!今すぐにいかなくちゃ!」

「そんなことは言われないでもわかってる!!」

少女が三人の中に割って入った。

「急がないと、アース・クリスタルの暴走が一層強くなっています。見たところ、そこの女性は私ととても相性が良いようです。彼女となら二人を助けることが出来るかも知れません。保障はどこにもありません。今は私を信じてください、としか言えません」

その言葉にランは頷くと、ボックのコックピットハッチを開いて外に出た。ハッチを閉じてその上に仁王立ちになる。ただでさえ精神干渉波が強烈なこの場で外に出るなど非常に危険なことであるとわかっていて、ランはあえて自分の生身を少女の前に晒した。それがランの覚悟のあらわれだった。もはや、彼女を止めることは誰にも出来ない。

「おい、お嬢ちゃん!」

「やるといったらやるの!言ったでしょ!迷っていたらアベルが危ないの!それに、この女の子の言っていることは本当だと思う。今は私の直感を信じるだけ!」

少女は一度だけ強く頷くと、瞳を閉じた。彼女を眩い光が再び包み込み、光の中に少女の姿が見えなくなった。光は次第に大きくなり、やがてアファームドを覆い尽くすほどにまでなった。それに比例するがごとく、光量も数倍に強くなっている。やがて、一帯が光に完全に覆われたとき、三人の視角は一機のVRを捉えた。背後には後光が差し、翼の生えた神聖な姿をより神々しく見せていた。天使のバイザーが輝き、ランに語りかけた。

「行きましょう、ラン。二人の危機を救いに!」

「うん!」

ランは次の瞬間、体中の力が抜けた感じがした。瞬時に意識を失う。そして時間にして非常に僅かな、しかし、ランにとっては極めて長いと感じられた時間的隔たりから目覚めた時、ランは自分の身体が宙に浮いていることに気がついて周りを見渡した。見渡す限りの光の世界、そこに天から声がする。少女のそれだ。

「あなたの大切な人のことを強く想ってください。これからその想いを頼りに時空を飛びます」

いつの間にか、ランの背中には二対の光輝く翼がはえていた。そっと手で触れてみる。柔らかく暖かい確かな感覚にランはそれが幻覚などではないことを直感的に悟った。両目を閉じてアベルの姿を思い浮かべる。そして、彼の無事を強く祈った。天使に宿る背中の翼が一層の光を放った。ヴァイスとジョナサンの見守る中、一度だけ大きく羽ばたいた天使は上空へと飛び上がり、そして一瞬で虚空へと姿を消した。